昨秋の「ピカッ」騒動をあらためて検証し、美術関係者やジャーナリスト、被爆者団体などが、Chim↑Pomへの批判を含め、さまざまな視点から考察する。「ヒロシマ(原爆、平和)」「美術と行政、市民」「表現の自由」など、美術の問題にとどまらない社会的命題に多角的に迫る1冊。筆者・話者は、Chim↑Pom、被爆者団体の方々など、約20名。
昨年10月、Chim↑Pomというアート集団が広島の空に「ピカッ」の3文字を飛行機雲で書くという、いわゆるスカイ・ライティングを行った。それに対して、マスコミは大々的なバッシングを行い、彼らは謝罪することを余儀なくされた。その報道に触れたとき、私が思ったことは、まさにこのタイトルそのままの疑問だった。
「なぜ広島の空に『ピカッ』という3文字を書いたことがそこまで問題になるのだろう?」
「このバッシングが意味しているものは何なんだろうか?」
他の誰もそのことを表立って取り上げることなく、この行為はバッシング→忘却というお決まりのルートを辿っていく。そんななか、彼らはこの疑問と向き合い続け、それを1冊の本にまとめた。それは本来ならば彼らの仕事ではないだろう。彼らは、「これは面白そうだ」とか「こんなことやってみたらすごいことが起こるんじゃないか」とか、直観で何かを捉え、表現する。そこには論理的整合性など必要ない。私たちやあるいは研究者たちがそれを理論的に捉え、語ろうとするよりも彼らはより核心に近づくことさえできる。説明することは、本来であれば他の誰かにまかせればいい。それは彼らの仕事ではない。けれども誰もそれをしようとしなかった。だから彼らはそれをした。
彼らの行為/作品は面白い。アカデミックな美術教育を受けたわけでもない彼らが、アートを志向し、同時に社会的論題を扱っていることにその魅力の一つを見出せるかもしれない。社会問題などに興味を持ちそうにない人たちがアートを通して雄弁に物語る。そのアート自体ももちろん面白い。しかし語るはずのないものがそのことについて語る―しかも雄弁に―、そこにはランシエールが政治的なものの起源として位置づけたような「間違い」がある。しかも彼らは、「かくあるべき」と押し付けてくる権力に従順であるわけでも、それに反逆しているわけでもない。彼らは奴隷でも闘士でもないのだ。彼らはただそれをからかい、皮肉り、面白がる。そのことによって、支配的ヘゲモニーはある意味で無力化(というよりも脱力化)させられるのかもしれない。
さて、「ピカッ」に戻ろう。
写真を見れば分かるのだが、この「ピカッ」はどこかしら間が抜けている。そこからは原爆の激しさ(そもそもそんなものは表象不可能だろうが)や暴力性を微塵も感じ取ることができない。おそらく動画だとよりはっきりするだろう。飛行機がぐるぐる旋回し1画1画描いていく様。それはどっちかというと滑稽な印象すら受ける。それがどれほど人を傷つける力を持つのか、正直疑問に感じてしまう。この行為自体が、とても「戦後平和」的なのかもしれない。リーダーが言っているとおり、彼らは戦後の「平和」を撃ちたかったのだろう。だからこんな手法を取ったのだ。表象不可能なほど暴力的なものを漫画的な効果音で表現する。暴力の存在を忘却・隠蔽することによって成り立ってきた戦後平和なるもの。彼らはそれを攻撃したかったのかもしれない。そのことは原爆被害者の会との対話のなかでも明らかにされていく。マスコミが散々遺族の感情云々言っていたのに、彼らと被害者の会のメンバーの間には同志愛に近い感情さえ生まれている。両者はともに忘却・隠蔽というもう一つの暴力に立ち向かう同志なのかもしれない。記憶を語り継ぐこと。原爆の表象不可能性を考えれば考えるほど、そんなことはできないように思える。とりわけそうした出来事を隠蔽し無力化しようとする力が働いていれば働いているほど。戦後の平和なるものは、日本とアメリカの、相互に依存しあう翼賛的な国民主義、畸形の植民地主義の言い換えに他ならない。その中で原爆の経験は、一方ではシンボルとして無毒化され、他方では忘却されていく。原爆ドームは観光地なのだろう。それに抗うこと。
話は変わるが、蔡國強の作品との比較(+彼へのわずかなインタビュー)も面白かった。
蔡國強のエキシビジョンをニューヨークのグッゲンハイムで観たことがある。そのときの印象は、まず彼は極めて戦略的なポスト・コロニアル・アーティストではないか、ということ。極めて「中国的」な象徴物を彼は作品に多く導入する、西洋人を「喜ばせてあげる」ようなモチーフを。「正統的」美術は西洋のものであり、西洋人のものだ。評価するのは西洋人であり、国際的な名声を上げたいのならば、彼らを喜ばせるようなモチーフを扱うのが有効だ。おそらく蔡は自覚的にそれを行ってきた(これが村上との違いなのだろうか?僕にはわからないけれども)。彼が爆薬によって作った作品は水墨画を思わせるし、爆竹自体、極めて中国的(もちろん本来は中国の一部地域に過ぎないだろうが)な素材だといえる。そのとき蔡自身に、僕はのイメージを重ね合わせていた。火薬/花火の両義性、それは一方では祝祭、歓喜の象徴であり、他方では戦争、暴力の象徴であることに見出せる。どちらも「爆発」を経由して、対照的なものを表現する。作品に火薬を持ち込むことは、必然的にその作品自体にその両義性を孕ませることになる。つまり、その作品において、祝祭・歓喜と戦争・暴力は1枚のコインの表裏のようにどちらかだけを取り外すことはできない。ただ、歓喜を提示しているように見えても、あるいは暴力を提示しているように見えても、そこにはつねにその反対の意味が含まれてしまう。蔡が火薬を作品に用い続けるのは、そういった両義性を踏まえてのことなのではないか、と僕は思っている。
その上で彼がChim↑Pomの数日後に行ったアートを考えてみると、僕は困惑を禁じえない。広島は祝祭(カーニバル)の場になってしまったのだろうか。
ちょっとこれ以上は考えが進みそうにありません。この本自体はかなり読み応えのある論考もあったりしてなかなか面白いのではないでしょうか。
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