ピエモンテの谷に住む異端の末裔ヴァルド派。宗教的迫害を生きぬいてきた彼らが、存亡の危機を迎えたのは、17世紀末、時代はすでに「啓蒙の世紀」。谷を守るため、ヨーロッパの啓蒙空間をかけまわるヴァルド派と、彼らを支えたヨーロッパ諸勢力の意外な結びつきを通して、錯綜するヨーロッパの近代を考える。
読了本が積もってしまっているので走り書きで。9月からはちゃんと書きたいと思いますが。
山川から「ヒストリア」というシリーズが出ています。ややマニアックな世界史をややマニアックな切り口でさくっと切り取るとても面白い叢書。2008年で刊行が途絶えていますが、終わってしまったのでしょうか。
ヴァルド派……寡聞にして僕は聞いたことがありませんでした。
起源は12〜13世紀に遡るという。創始者はヴァルデスという高利貸しで、彼は福音書の俗語訳を行い、それを手がかりに説教を始めるようになった。その運動はやがて、聖書に立ち返れ、という教会改革運動に発展していった。つまり、ヴァルド派の教義は宗教改革の先駆け的存在だったと評価することもできる。彼らはそれゆえローマ・カトリック勢力により異端視され、弾圧の対象とされ続けてきた。しかし、その弾圧の網の目をかいくぐり、彼らは自分たちの信仰を守り続けてきた。
本書の舞台はそれ以降、17世紀末のヴァルド派に注目し、丁寧な資料分析によって、この時代をヴァルド派がいかに生きぬいたかを躍動的に描き出している。
面白い点は幾つかあるが、第一には、彼らの信仰が教義の独自性云々よりも、まずローマ・カトリックの歴史的対抗者であり、プロテスタントの盟主として自らを位置づけていたこと、そして「谷」への執着だと思う。彼らは長年ローマ・カトリックの弾圧を跳ね返し続けてきたことをプロテスタント諸国・諸教会にアピールし、それによって援助を獲得し、それをもとに生き延びてきた。教義的には他のプロテスタントとほぼ変わらないが、そうした伝統や自らのルーツである「谷」にアイデンティティのよりどころを見出し、特異性を保ってきたこと。
第二には、彼らを援助するような超-国境的なプロテスタント同士のネットワークが形成されていたことである。そして彼らはそれをうまく利用した。そしてそうしたネットワークと当時の国際情勢は無関係ではなく、むしろ国家間の利害関係とも深く関わるものだったという。宗教改革の時代ではなく、この17世紀に彼らは危機に瀕し、そして同時に彼らを救うようなこうした関係ができ上がっていたことというのは、僕にとっては初めての発見でとても楽しくなってしまった。こういったところから歴史を読むというのはとても刺激的なことだと思う。
面白かったです。勉強になりました。
2010年8月24日火曜日
2010年8月6日金曜日
菅瀬晶子 『新月の夜も十字架は輝く—中東のキリスト教徒』
数多い中東のキリスト教の諸教派について、その歴史と特徴を簡単に紹介。キリスト教徒が具体的にはどのような人びとなのかを、衣食住から精神的なものまで、さまざまな実例をあげて解説。キリスト教徒たちが中東の近代化から今日にいたるまではたしてきた役割と、今後の展望について叙述。
山川から「イスラームを知る」というブックレットシリーズが出ていることを知り、手に取ってみた。12冊ほど出る予定で、今も刊行中だけれども、テーマとしてはかなり面白そうなものが揃っている印象。そのうちこの本では、副題が示す通り、中東に暮らすキリスト教徒に焦点を当てている。マロン派とか、コプト教徒とか、〜正教会とか、名前は聞いたことあるけど、どんなんだかよく分かっていなかったので、その辺を整理してくれているあたり、とてもありがたかった。
あと、どうしても彼らの存在ってあまり目を向けられることが少なくて、彼らの内実を知ることはこれまでなかったのだけれども、かなり図版も入れつつ、親切に紹介してくれる。中東ではどうしてもマイノリティにならざるをえない彼らと、マジョリティのイスラーム教徒との微妙な力関係も同様に興味深い。
なかでも、次の2点は印象的だった。
一つは、彼らの信仰や儀式が土着の多神教的な民衆信仰と混淆している、という指摘。そしてイスラーム教徒もまた、こうした民間信仰の影響を受けており、したがって、こうした土着的な信仰の影響が色濃い儀式において、キリスト教徒も、イスラーム教徒も、その異教的な側面は認識しつつも、共に儀式に参加し、信仰を共有する部分があるのだ、ということ。これを「寛容」として捉えていいのかは分からないけれど、それでもとても興味深い。
もう一つが、彼らキリスト教徒が、汎アラブ主義、もしくはアラブナショナリズムの興隆に大きな役割を果たしていた、という指摘。これは教科書的な中東史ではほとんど触れられない点で、私も初めて知った。とはいえ、個人的にまだ中東とその歴史が全体像として把握できていなくて、ここでの記述とこれまで読んできた中東についての知識がどう結びつくのか、ちょっと整理できていないのだけれど。彼らの視点から中東の(そして西洋の)歴史を辿り直すというのはとても面白い試みじゃないだろうか。こういった研究もっと読んでみたいな。僅か112ページのブックレットだけれど、とても勉強になります。
山川から「イスラームを知る」というブックレットシリーズが出ていることを知り、手に取ってみた。12冊ほど出る予定で、今も刊行中だけれども、テーマとしてはかなり面白そうなものが揃っている印象。そのうちこの本では、副題が示す通り、中東に暮らすキリスト教徒に焦点を当てている。マロン派とか、コプト教徒とか、〜正教会とか、名前は聞いたことあるけど、どんなんだかよく分かっていなかったので、その辺を整理してくれているあたり、とてもありがたかった。
あと、どうしても彼らの存在ってあまり目を向けられることが少なくて、彼らの内実を知ることはこれまでなかったのだけれども、かなり図版も入れつつ、親切に紹介してくれる。中東ではどうしてもマイノリティにならざるをえない彼らと、マジョリティのイスラーム教徒との微妙な力関係も同様に興味深い。
なかでも、次の2点は印象的だった。
一つは、彼らの信仰や儀式が土着の多神教的な民衆信仰と混淆している、という指摘。そしてイスラーム教徒もまた、こうした民間信仰の影響を受けており、したがって、こうした土着的な信仰の影響が色濃い儀式において、キリスト教徒も、イスラーム教徒も、その異教的な側面は認識しつつも、共に儀式に参加し、信仰を共有する部分があるのだ、ということ。これを「寛容」として捉えていいのかは分からないけれど、それでもとても興味深い。
もう一つが、彼らキリスト教徒が、汎アラブ主義、もしくはアラブナショナリズムの興隆に大きな役割を果たしていた、という指摘。これは教科書的な中東史ではほとんど触れられない点で、私も初めて知った。とはいえ、個人的にまだ中東とその歴史が全体像として把握できていなくて、ここでの記述とこれまで読んできた中東についての知識がどう結びつくのか、ちょっと整理できていないのだけれど。彼らの視点から中東の(そして西洋の)歴史を辿り直すというのはとても面白い試みじゃないだろうか。こういった研究もっと読んでみたいな。僅か112ページのブックレットだけれど、とても勉強になります。
2010年6月28日月曜日
修道士マルクス/修道士ヘンリクス 『西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄』
腹を食い破る蛇、悪霊たちの打擲、四肢を断ち切る処刑人、灼熱と悪臭……
想像を絶する責め苦と試練が待ち受ける西欧版地獄とは?
12世紀、ヨーロッパを席巻した冥界巡り譚「聖パトリキウスの煉獄」「トゥヌクダルスの幻視」を収録。2人の騎士は臨死体験を通して、異界を訪問する。無数の悪霊の襲来から始まり、灼熱、悪臭、寒冷、虫、蛇、猛獣が跋扈する煉獄で、執拗な拷問と懲罰を受けた後、甘美にして至福の天国を見学し、現世へと帰還する。中世人の死生観を熟読玩味する。
しばらくパソコンから離れた生活を送っていたので、なかなか書けませんでした。その間に、何冊か本を読み終えたのですがだいぶ時間が経っているので、とりあえず読んだ本の紹介程度に。また7月からはちゃんとしたいと思うのですが。
ってことで、3週間ほど前に読んだ、講談社学術文庫「西洋中世奇譚」シリーズの新刊。「トゥヌクダルスの幻視」と「聖パトリキウスの煉獄」の二篇を収めています。『神曲』を読んでいて地獄篇の拷問場面が一番面白かった、という人にはおすすめです。『神曲』ってやっぱ洗練されているんだなぁ、こっちはもっと露骨にえぐいです。神曲は地獄→煉獄→天国だけども、この二篇では、どちらも天国には行かないんですね。煉獄の最後にある地上の楽園止まりだったと記憶しています。「幻視」というのはとても面白いテーマで、以前ヴィクトル・ストイキツァの『幻視絵画の詩学』という本を読んで感銘を受けたことがあります。といってもあの本で扱っているのは16〜17世紀ごろのスペインの宗教画でしたが。ただ、幻視を描く宗教画と、こういった幻視譚はそれが担った役割においては似ているところがあるのかもしれません。こういった煉獄譚が当時、誰にどのように読まれていたのか、その辺は気になるところですね。平民の生活を(自発的に)統制/管理するための技術、みたいな役割を果たしていたであろうことは予測がつきますが、それだけに尽きない魅力があるようにも思います。
詳細な解説も魅力。
想像を絶する責め苦と試練が待ち受ける西欧版地獄とは?
12世紀、ヨーロッパを席巻した冥界巡り譚「聖パトリキウスの煉獄」「トゥヌクダルスの幻視」を収録。2人の騎士は臨死体験を通して、異界を訪問する。無数の悪霊の襲来から始まり、灼熱、悪臭、寒冷、虫、蛇、猛獣が跋扈する煉獄で、執拗な拷問と懲罰を受けた後、甘美にして至福の天国を見学し、現世へと帰還する。中世人の死生観を熟読玩味する。
しばらくパソコンから離れた生活を送っていたので、なかなか書けませんでした。その間に、何冊か本を読み終えたのですがだいぶ時間が経っているので、とりあえず読んだ本の紹介程度に。また7月からはちゃんとしたいと思うのですが。
ってことで、3週間ほど前に読んだ、講談社学術文庫「西洋中世奇譚」シリーズの新刊。「トゥヌクダルスの幻視」と「聖パトリキウスの煉獄」の二篇を収めています。『神曲』を読んでいて地獄篇の拷問場面が一番面白かった、という人にはおすすめです。『神曲』ってやっぱ洗練されているんだなぁ、こっちはもっと露骨にえぐいです。神曲は地獄→煉獄→天国だけども、この二篇では、どちらも天国には行かないんですね。煉獄の最後にある地上の楽園止まりだったと記憶しています。「幻視」というのはとても面白いテーマで、以前ヴィクトル・ストイキツァの『幻視絵画の詩学』という本を読んで感銘を受けたことがあります。といってもあの本で扱っているのは16〜17世紀ごろのスペインの宗教画でしたが。ただ、幻視を描く宗教画と、こういった幻視譚はそれが担った役割においては似ているところがあるのかもしれません。こういった煉獄譚が当時、誰にどのように読まれていたのか、その辺は気になるところですね。平民の生活を(自発的に)統制/管理するための技術、みたいな役割を果たしていたであろうことは予測がつきますが、それだけに尽きない魅力があるようにも思います。
詳細な解説も魅力。
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