2009年4月19日日曜日

舞城王太郎 『山ん中の獅見朋成雄』

中学生の獅見朋成雄はオリンピックを目指せるほどの駿足だった。だが、肩から背中にかけて鬣のような毛が生えていた成雄は世間の注目を嫌い、より人間的であることを目指して一人の書家に弟子入りする。人里離れた山奥で連日墨を磨き続けるうちに、次第に日常を逸脱していく、成雄の青春、ライドオン!

さて、舞城です。彼はいわゆるストーリーテラーではないでしょう。寧ろストーリーを半ば破綻させかけながらも、そんなことは気にせず疾走し続ける、そういったところに彼の特色があるような印象を受けます。奇抜性や疾走感でごまかしているだけじゃないか、という批判もありそうですが。
枠組みとしてはこの小説は(かなり逸脱した)ビルドゥングスロマンなんでしょうか。

気になるキーワードはあるんですよね、人間性やらカニバリズムやらトンネルやら。ただそういったキーワードを軸にしてこの小説を考えてみようという気にはならないんですよね。別に舞城に限ったことではないですが、読んでいて確かに面白い、そして一気に読める(この小説の場合読みきるのに2時間もかからないでしょう)、けれども何も残らない。面白かったね、で終わってしまう。これはたぶんに僕の問題でもあるんだとは思いますが。
主人公の変化の契機をどこに見出すべきなのか。鬣が生えた時なのか、トンネルをくぐった時なのか、鬣を失った時なのか、人を殺した時なのか、食べた時なのか。まぁ素直に読めば鬣ということになるんでしょう。獣性の象徴のようで嫌悪し、恥じていた鬣が実は人間性の源泉だったとか。でもそれって設定としては安直じゃないですかね。ファルス的なものの去勢というわけでもなさそうだし。「アイデンティティの喪失」なるものと結び付けようとするのはそれに輪をかけて問題があるような。

繰り返しになりますが、舞城の作品自体は嫌いじゃないんですよ。むしろ好きです。ただ、それについてコメントするとなると、面白いねーとか、疾走感あるねー、とか設定がすごいねーとかゆう当たり障りのないことしか挙げられないだけです。『ディスコ探偵水曜日』は未読なので、これを読んでからもう少し彼の作品について考えてみようかなと。とりあえず保留で。

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