世界が大きく揺れ動き,時代は未曾有の転換点を迎えている──こうした言葉がレトリックではなく,実感として私たちに迫りくる現在,思考の向かうべき課題 とはなにか.姜尚中,高橋哲哉,杉田敦をはじめとする「思考のフロンティア」の編集協力者たちが再結集し,危機的状況からの突破口をさぐる.五つのテーマ をめぐって展開される白熱の討論.
きっと辛口の研究者や批評家ならば、予定調和のぬるい対談と切って捨てることでしょう、僕にはそこまでする勇気も知性もありませんが。もちろん読んでいて「やれやれ」と思ったことは幾度となくありました。1章の姜尚中の語らいには辟易しましたし、読むのをやめようかとすら思いました。けれども、それ以降の3章、4章はわりかし面白かったです。5章もそれなりに。
もう少し具体的な話に入ることにしましょう。
まず、「1章 アジア/日本を貫く<近代>批判のために」について。全く面白くなかったです。新しい話がひたすら出ず、どっかで聴いたことがあるような話を延々と繰り返しているだけ。これだけ大層な肩書きをもった学者さんたちが集まって、こんなお話しか出来ないのだから、確かに問題は深刻ですね。しかし、日本と「アジア」を考えるときに、アメリカについてここまで言及のない議論も珍しい。酒井直樹の「日本/映像/アメリカ」、「希望の憲法」などの研究と比較するとあまりに議論が稚拙な印象をうけました。これが姜尚中や小森陽一(彼には1~5章全ての対談でがっかりさせられました)ら、この手の研究を専門としているはずの研究者の議論なのかと。
第2章については全く印象が頭に残っていないため、割愛します。まぁその程度の議論だったってことでしょう。
第3章は一転、上野成利の基調講演から対談までとても興味深い(小森は除く)ものでした。上野、杉田両氏はさすがに頭が切れるなぁと感心しました。主権/権力の問題、あるいは暴力や生政治の問題について、今日の諸問題と絡めつつ面白い議論を展開していた印象です。彼らには明確な視座を感じます。ヴィヴィオルカが言及されていましたが、彼の議論も気になるところです。読んでみたい。
第4章もよかったですね。精神分析を切り口にしながら、そこにおける正義の不在を指摘する。その上で「正義」なるもの、さらには「人間性(あるいは人間の領域)」とは何か、という問いを改めて投げてみる。竹内の指摘した言語の行為遂行性のもつ可能性と、そこに安易に希望を見出してしまうことへの懸念というアンビバレントな評価は分かる気がします。ハーバーマス的な公共圏にも希望を見出すこともできず(彼はまさしく「近代西洋」的な合理的諸個人を前提としているわけですから)、そのオルタナティヴも見出すことが出来ない、そんな情況の中で、それでももがき格闘し続けるのが現代を生きる研究者の使命だと彼女は主張していたのだと思います。
そんなことに真っ向から反発するのが、第5章の金子勝でしょう。彼は、青臭いほどそうした研究者の姿勢に反発します。市野川が途中で本気になっているのが活字からも読み取れて面白かったですが(総じてこういった対談はお互いが気持ちよく終われる様、ぬるい感じで進むものですが。) 基調講演はわりと面白かったかな。もう少しアレントについて勉強しなければなんともいえませんが。
こんな印象です。膨大な脚注があるので(編集者の方はさぞかし大変だったことでしょう)、これだけでも役に立つことがある「かも」しれません。色々な事について考えるいいとっかかりになる「かも」しれません。ちょっと辛口だったかもしれないと、書き終えた後で少し反省しています。
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