2009年4月20日月曜日

ジョン・トーピー 『パスポートの発明―監視・シティズンシップ・国家』

フランス革命以後、国家が国民の移動手段を合法的かつ独占的に掌握するのに決定的な役割を果たしたのがパスポートであった。本書は、近代以降のヨーロッパ各国およびアメリカの事例を具体的にあげながら、地方自治体や封建領主等から国家へと、合法的な移動手段が奪い取られていくプロセスを描き出し、パスポート制度という国際的なシステムの確立とその現代的な意味を問う。〔歴史社会学・ディアスポラ研究〕

邦訳を長らく待っていた本。最初と終わりだけオリジナルで読んでぜひ通して読みたいなぁと思っていたところ、邦訳が無事出版されたようで。
この本の意義はトーピー自身が整理しているように3つにまとめられます。
①近代世界発達の過程を、国家(系)が個人や私的な団体から「合法的な移動手段の排他的な独占」の過程として捉えること
②近代国家の発展の過程を、それまで支配的だった「国家が市民社会に浸透する」というメタファーではなく、「国家が市民社会を掌握する」というメタファーを通じて理解すること
③国民国家によってパスポート制度が発達したのではなく、パスポート制度の発達自体が国民国家やその諸制度の確立過程に決定的に作用していること

①について、マルクスが資本主義の発展過程を、資本家が労働者から「生産手段」を収奪する過程として捉えたように、更にはウェーバーが近代の特徴を国家が個人から「暴力手段」を収奪したことに見出したように、トーピーはこの点に第三の「収奪」を見出しています。その表れとして彼はパスポートに注目するわけです。このような視点に立てば、従来の移民研究の問題点は明らかになります。つまり、「移民政策の研究は、国家の役割を無視するというよりも、むしろ国家を所与のものとみなしたために、移住の規制によって、国家の『国家であるゆえん』がいかにして生み出されてきたのかを理解できなかった」(pp.10)わけです。このような視座は、例えばアーリが『社会を超える社会学』で移動から社会を捉えなおすことで社会学を再考しようとするような、新しい社会学の潮流といえるものでしょう。国家や社会を所与のものとするのではなく、移動を所与のものとするとき、社会学は全く新しい様相を呈することになります。例えば、「彼らはなぜ移動するのか」ではなく「私たちはなぜ移動しないのか」というように。
②その上で、彼は近代国家成立の過程を「浸透」ではなく「掌握」という言葉で捉えようとします。「浸透」というメタファーで国家の発展過程を捉えてしまうことには確かに幾つもの問題点が存在します。まず、それは不可逆的であり、一方的な流れとして捉えられてしまう。次いで、あたかも「自然」なものとして捉えられてしまう、つまり胡瓜を塩水に浸したら胡瓜は必ず萎びてしまうようにそれは当然のことのようにされてしまう。そしてなによりも、市民社会がどのように国家に対峙しようとしたか、そしてその抗いを国家はいかに押さえつけていったのかを描き出すことができない。それゆえ、彼がここで「掌握」というメタファーを提出したのは極めて妥当なように思われます。
③パスポート制度が今日のような形で成立するようになったのはごく最近のことに過ぎず、当初から明確にこの多様な側面を持つパスポート制度が存在していたわけではないということ。折々の時代状況や地理的・歴史的背景の作用を受けながら、パスポート制度はまったく一貫性を持たずに(あるとすれば、望ましくない誰かを排除するという点でしょうか。ただ、これさえもトーピーが言うとおり、パスポートの一側面に過ぎないわけですが)存在してきました。国民国家が明確に存在しており、その上で「望ましい人々」と「望ましくない人々」がパスポートによって規定されるというのは、本書を一読すれば全くの幻想であることが明らかになります。国民国家形成にパスポート制度が決定的に作用しているというトーピーの指摘は、一つの論点になるでしょう。

本書はパスポート制度の変遷を辿りながら、国家が市民を掌握する過程を描いていきます。その過程に興味がないのならば、2章から4章は飛ばしてしまってもかまわないのかもしれません。序章と5章、結論だけでも彼の論点は十分に理解できると思います。ただ、2章から4章は面白いですよ。パスポート制度自体が当時の様々な事情と係わり合いながら、時に強化され、時に廃止されながらも次第に今日の形態に近づいていく有り様を克明に描写しています。
もちろん本書は、フランス、ドイツ、イタリア、アメリカなど一部の地域を扱ったものに過ぎません。おそらく「第三世界」諸国においては全く異なった問題を取り出すことができるでしょう。更に言えば、トーピー自身は植民地体制にさほどの関心がないように見られます。宗主国と植民地の関係にパスポートはどのように作用していたのか、というのも興味深いテーマなのではないかと感じましたが。とはいえなかなかの良書でした。




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