イタリアを代表する女流作家の自伝的小説。舞台は北イタリア、迫りくるファシズムの嵐にほんろうされる、心優しくも知的で自由な雰囲気にあふれた家族の姿 が、末娘の素直な目を通してみずみずしく描かれる。イタリア現代史の最も悲惨で最も魅力的な一時期を乗りこえて生きてきたある家族の物語。
僕がこよなく愛する須賀敦子さんのエッセイはナタリア・ギンズブルグのこの自伝的小説なしには存在し得なかった、そういっても過言ではないだろう。彼女の文体は、ギンズブルグによって育まれた。もちろんそれ以前に彼女が書き溜めていたエッセイにも須賀敦子らしさは随所に見られていてこう言い切ってしまうのは誤りなのかもしれない。けれどもギンズブルグという支柱を得て初めて須賀敦子は滔々と物語り始めた。ギンズブルグのそれが自伝的小説と称されるならば、須賀の作品は限りなくそれに近いエッセイなのだろう。ギンズブルグが自分の半生を、自分の家族の歴史を振り返りながら、あくまでそれを小説として発表したように、須賀は自分の半生を、そして自分の家族、イタリアでの友人などの記憶を辿りながら、エッセイを書き続けた。
池澤夏樹が「考える人」の須賀敦子の特集で書いていたこと―エッセイストと小説家の根源的な相違、須賀自身の小説を書くことに対する躊躇い―は本当なのだろうか。エッセイは現実という支柱に寄り添いながら書くことだが、小説は全くなにもない状態から書くことであり、須賀はこのような「なにもない状態」から物語ることに戸惑いを感じていたのだ、と彼は言う。しかし、周知の通り小説は何もないところから始まるわけではない。小説家が様々な経験をし、色々な人々と出会い、影響を受け、何かについて考えようとする、小説にはそういった前提がある限り、「なにもない状態」はありえない。小説家自身がタブラ・ラーサの状態なら話は別だろうが、仮に彼/彼女がそのような状態にあるとき、小説など書くことはできないだろう。更に言えば、ギンズブルグのこの小説に出会いそれによって自分の文体を練り上げ、ギンズブルグのように自分の半生を書こうとする。その行為が小説の創作に極めて接近することを須賀は自覚していたはずだ。無論、本人が既にこの世にいない以上、これ以上の憶測は無意味だろうが。
この小説の話に戻ろう。この小説はどこまでも暖かい。レーヴィ一家とそれを取り囲む交友関係がナタリア自身の視線を通じて語られる。高圧的な父、マイペースな母、買い物好きで母と仲良しの姉、父のお気に入りの長男、優等生の次男、マイペースで活動的な三男、そして彼らを取り囲む友人、それを捉え続けるナタリアの視線はどこまでも暖かく、やさしい。レーヴィ一家には自分たちにしかわからないような言語があって、それさえあれば彼らがどこにいても群衆に紛れていてもすぐに見つけ出すことができる。その秘密の言語のように、どんなに時間がたっても、全てが変わってしまった様に見えてもずっと変わらないものはあって、この小説はそんな時間の中でも変わらずにあり続けるものを丹念に描き出しているように感じられる。とても暖かい気分になれる、素敵な小説だと思います。
あとパヴェーゼがしばらく気になっていたんだけれども、この小説でも再三顔を出しています。そろそろ読んでみようかと。
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