2010年4月20日火曜日

マルグリット・ユルスナール 『東方綺譚』

古典的な雅致のある文体で知られるユルスナールの一風変ったオリエント素材の短篇集。古代中国の或る道教の寓話、中世バルカン半島のバラード、ヒンドゥ教の神話、かつてのギリシアの迷信・風俗・事件、さては源氏物語など、「東方」の物語を素材として、自由自在に、想像力を駆使した珠玉の9篇。

マルグリット・ユルスナールの短編集。オリエント(日本、中国、インドからギリシャ、スラヴ諸国まで)の小説、逸話、伝承などから自由に発想が広がっていく。短いながらも良くまとまった、いい短編集です。
ただ面白い話があるだけではない。かといって教条じみているわけでもない。じんわりと「何か」が伝わってくるような、そんな寓話ぞろいです。
ユルスナールらしい、というべきなのかわからないけれど、端正な文章でとても魅惑的かつ幻想的です。翻訳もその雰囲気をよく伝えてくれている。
オリエントというのは、やはり幻想的な着想を羽ばたかせるには格好の素材なのですね。異教の神々、ニンフなどへの関心が読み取れるのは、彼女らしいなぁ(よくわからないけれど)。
冒頭の「老絵師の行方」と最後の「コルネリウス・ベルクの悲しみ」を対比的に読んでみるととても面白い。これを東−西の図式に置き換えてはいけないのだろうけど。
そういえば「コルネリウス・ベルク〜」にはチューリップ狂が登場する。チューリップの蒐集と新種開発への執心、その市場化の過程は、近代植民地=資本主義を(オリエンタリズムと呼んでもいいのだろうが)想起させる。オリエントを蒐集し、展示・園芸すること、そしてオリエントそのものをも開発創造すること(ウマ・ナラヤン「文化を食べる」参照)。あえて、一歩引くならば、ユルスナールもまたこうしたチューリップ狂とさほどの違いはないのかもしれない。彼女もまた「オリエント」を蒐集し、創造したわけだから。
とはいえ他方で、「オリエント」という他者を構築することは、その対極としての「自己」を創造することでもあった。オリエントを堕落した、色黒い、醜い存在とみなし、そうではないものとして「西洋」を位置づける。こうした点について酒井直樹は「有徴―無徴」という印象的な言葉を用いていた。しかしユルスナールの小説はそうした観点からは少しズレているように思える。どうズレているのか、これはもう少し考えなければいけないところだけれども、むしろそこまで見切った上で、あえて「オリエント」を取り上げ、両者の間で実験的に戯れているかのような、そんな印象も抱いてしまう。それは彼女の「異端」への関心がそうさせるのだろうか。


何よりも。今日はとても大変なことがあって、その合間にこの本をパラパラ読んでいました。だから内容はあまり残っていないし、それは上を読んでいただければ分かることだと思います。
ただ、そのなかにあって彼女の文章を読むことそれ自体が、自分の中のバランスや落ち着きを取り戻すのに役立ってくれた。やっぱり小説にはそんな力があって、それを改めて感じさせてくれたこの短編集に感謝したいです。また今度ちゃんと読もう。

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