2010年4月12日月曜日

ギャビン・ライアル 『深夜プラス1』

ルイス・ケインの引き受けた仕事は、マガンハルトという男を車で定刻までにリヒテンシュタインへ送り届けることだった。だが、フランス警察が男を追っており、さらに彼が生きたまま目的地へ着くのを喜ばない連中もおり、名うてのガンマンを差し向けてきた! 執拗な攻撃をかいくぐり、ケインの車は闇の中を疾駆する! 熱気をはらんで展開する非情な男の世界を描いて、英国推理作家協会賞を受賞した冒険アクションの傑作。

どうやら僕にはハードボイルドさが足りない。そんなことをふと思って、とりあえずハードボイルドな小説でも読んでハードボイルドな気分に浸ることにしました。
やや安直な経緯だけれども、読み終わった今はすっかりハードボイルドです。

そんなこんなでギャビン・ライアル。いちいちかっこいいですね。わざとらしくかっこいいのが素敵です。Amazonのレビューに、これだけは知っておいてね、という固有名詞が幾つかあって、銃器やら自動車の名前なんですけど、画像検索してみると期待通りにかっこいい。
話は、もうどうでもいいです。金持ちをリヒテンシュタインまで送っていくだけの話なので。極端な話、リヒテンシュタインじゃなくてスロヴェニアでもいいし、金持ちじゃなくて仏像でもいいんだと思います(仏像じゃかっこ悪いからだめかな)。こういうのって何よりも雰囲気を楽しむ小説じゃないでしょうか。
ただ、いかんせんオリジナルの刊行が1965年。なかなか伝わりにくくなっているところもあるのではないでしょうか(上野車の名前とかもその一つでしょう)。レジスタンスとか、第二次世界大戦とか、この小説が刊行された頃はそれを通過してきた人々がほとんどで、そうした人には、ある種の「生々しさ」を伴いながら、この小説は読まれたのかもしれない、と思います。武器を手に取り戦場に向かった人間たち(レジスタンスも含めて)がその後、ある者は弁護士となり、産業スパイとなり、あるいは銃から離れられずにガンマンになる。この小説に登場する人物の背後には、戦争とレジスタンスという劇的な経験が横たわっていて、当時の読者たちはその存在をひしひしと感じ取ったことでしょう。
だけれども、この小説をそんな風に読むことができる人はもはやほとんどいないんだと思います。先にこの小説の内容はどうでもいいと言い放ったり、何よりも雰囲気を楽しむべきだ、とあえて言ったのはそういった意味合いです。このかっこよさの奥底に絡み付いている何かの正体が分からなければ、「かっこよさ」それ自体を楽しめばいいのだと、僕は思います。
また、この小説では何人か「ガンマン」が登場する。彼らは言ってしまえば、先の大戦の生き残りで絶滅危惧種みたいなものなんでしょう。しかし、この「ガンマン」って言葉は、アメリカの西部劇をイメージさせますね。そうか、1965年だから丁度マカロニ・ウェスタンの時期と重なるんですね。ギャビン・ライアルはマカロニ・ウェスタンを観ていたのでしょうか。
まぁそんなことよりも、ガンマンはタバコを左手で吸うらしいですよ。右手は空けておかなければいけないらしいです。警察は買いかぶってはいけないけれど、侮ってもいけないそうです。マティーニのとき、グラスは凍らせてはいけません。うっすらくもるくらいがいいそうです。なるほど。
車と銃と暴力と酒、の世界ですね。中学生くらいの時に読んでいたら、痛々しい真似をしていたかもしれません。というか、ひょっとして今の40代くらいの人たちって、もろにこういった冒険ハードボイルド小説をくぐり抜けてきた世代じゃなかろうか、いや憶測ですが。

何と言えばいいのか分からないけれど、かっこよさとともに、ある種共感に近いものを感じたんですね。その共感って言うのは喩えていうと、絶滅危惧種の動物の姿に対して覚えてしまう、失われていくものに対する寂寞と同情みたいな、いわく言い難い感情なのですが。

他方で、この小説でのホモソーシャルな結びつきや、性別的な役割分担、男性中心主義的な感じはこの「かっこよさ」の裏返し(別の一面)でしょうし、「ハードボイルド」ってマスキュリニティそのもののような気もします。マスキュリニティがあまり好きではない僕は結局ハードボイルドにはなれないのでした。

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