2010年1月30日土曜日

小菅信子 『戦後和解—日本は〈過去〉から解き放たれるのか』

第二次世界大戦が終わり六〇年が過ぎ、戦争を直接記憶している人も少なくなった。だがいまだに戦争についての歴史認識をめぐり、近隣諸国との軋轢は絶えない。日本はいつ「戦争」の呪縛から解き放たれるのか―。一九九〇年代後半まで、日本軍による捕虜処遇問題で悪化していた英国との関係はなぜ好転し、ここにきて中国との関係はなぜ悪化したのか。講和の歴史を辿り、日英・日中の関係を比較し、和解の可能性を探る。

仕事がらみで読まなければならない本が詰まっていて、どうしても粗い読書になってしまうのが残念です。
しかし、これは厄介な本ですね。副題からは、〈過去〉から解き放たれたいという願望が仄かに伝わってくるのですが。

さて、何から話をしよう。
まずこの和解という言葉。どうも好きになれない。「和解」って何だろう。どんな状態を指しているのか。「平和」と同じくらい厄介な概念だと思いますが、それを敢えて主要概念として取り上げていくこの姿勢は評価したい。この本ではほとんど指摘されておらず、また確認した訳ではないので、僕の勝手な思い込みかもしれないけれども、この「和解」という概念は極めて神学的な、キリスト教的な概念という印象をもってきた。和解とは何よりも、「神」との和解であって、人間の原罪や様々な罪苦を悔い改めること、贖罪することを意味してきたのではないだろうか。そう思ってしまうのはいま『神曲 煉獄篇』を少しずつ読んでいるせいだろうか。ある種の罪、特に取り返しのつかないような罪を認識し、それを後悔し、贖おうとする行為。それは苦悶の道なのだが、その先に約束された平穏へ向けて歩みを進めること。あるいはその結果。こうした概念から日本の戦後を問うことは妥当なのか。難しい問題で、僕には自信のある答えがない。これがただ、西洋的(キリスト教的)概念だから、嫌とかいう訳ではないけれども、どうも引っかかりを感じてしまう。こうした手筈が織り込まれている「和解」という概念がいいのかわるいのか。そもそも「和解」なるものは可能なのか。ある取り返しのつかない行為を贖うこと、それは可能なのだろうか。
そういえばスラヴォイ・ジジェクは何かの本で、こうしたアウシュビッツなど強制収容所の出来事を、ホラー小説と重ね合わせながら「死者の帰還」として論じていた。人間が死ぬとき、それは二つの位相で死を経験する必要がある。一つは生物学的な位相における死であり、もう一つは象徴的な位相における死である。これはあるいは形相と質料に照応できるのだろうか。死者は適切な手順に従って弔われなければならず、これが行われなかったとき、死者は帰還する、いわばゾンビーとして。そしてジジェクはアウシュビッツなどをこうした次元から捉えていた。彼らは、生物学上は殺害されたが、象徴的なレベルでは殺害されなかった。であるならば、儀礼など適切なやり方を通して彼らを弔わなければならない、そしてそれがなされない限り彼らは帰還し続ける。こうジジェクは言った。しかし、それはいかにして可能なのか。ここでまた袋小路に突き当たることになる。

更にこうした和解の主体は何なのか、という疑問もある。「日本」が「中国」と和解する、というときにその「日本」が指しているものは日本「政府」なのか、あるいは日本「人」なのか。日本政府が中国政府と和解する、ということはありえる。日本人が中国人と和解する、ということは可能なのか。その時の日本人とは、また中国人とは、ある行為の当事者に限定されるのか、されないのか。そもそも自らが直接加担した訳でもない(したがって直接の当事者ではない)行為に対して和解する、ということは可能なのか。ある個人が、「日本人」を代表しなければならないのだろうか。もしそうでなければならないのなら、「日本人」であることを降りることによってその責は回避されうるものなのだろうか。これは小菅が触れないもう一つの回路となりうるのか。

この点について、小菅はとても興味深い議論を展開する。それは本書の序盤、和解と忘却について論じた箇所である。それによれば、近代以前(のヨーロッパ)では、講和と戦争行為の忘却が対となっており、忘却は積極的に推奨されていた。戦争中の行為を忘れてはならないものとみなされるようになったのは近代における産物にすぎない、という。そしてそれは二つの世界大戦の中で、より強調されるようになっていく。小菅は(明確に論じている訳ではないにせよ)ここで、こうした戦争を記憶し続けることと近代における国民国家形成が同時進行的に進んでいったことに注目している。なぜか。近代以前の戦争は、国家間の戦争であったのに対し、近代におけるそれは、国民国家間の戦争であった。例えば傭兵制から徴兵制への移行のように、近代において人々は、国家に積極的に参与する主体としての国民へと組み替えられていった。二つの世界大戦は総動員体制という言葉に表されるように、この国家へ国民を参与させる潮流を加速させることになる。その中で人々は戦争中の加害/被害の記憶を必然的に纏うようになっていく。そしてその記憶が、国民意識を再帰的に強化させていく役割を果たすことになる。つまり、この戦争の記憶という問題は国民国家と極めて深く結びついている。そのなかで、「日本」と「中国」が和解する、というような国民国家の枠組みを前提とした和解プロセスを議論すること自体、こうした国民国家の枠の外に出るものにはなりえない。場合によってはそうした国民意識を再生産するに留まってしまうのではないか。むしろそうした国民国家の枠組みの外に出ること、それこそが必要なのではないだろうか。日本に生まれた人と中国に生まれた人が友好を取り結ぶ、そのなかに「日本」や「中国」を代表するという認識が必要な訳ではない。というよりもそんなものが付け入る余地などないのではないだろうか。

この本は極めて危うい土台の上に乗っかっている。大きな構成からみても、序論だけぱらぱらしてもそれは明らかだ。「イギリス人捕虜問題」を彼女は和解の「成功例」と見なす。その「和解の成功」という非常に捉えにくい事態(例)を彼女はゴール地点に設け、それに合わせるかのように和解を論じる。そしてそれを和解プロセスのモデルケースと見なし、最後では日中関係に当てはめようとする。これはトートロジーに見えなくもない。何が成功かもよくわからないのにそれを理念型化して、文脈の大いに異なる他の事例に当てはめるやり方はちょっと危うさを感じざるを得ない。
具体的に見ていけば、その危うさはもっとよく見て取れる。例えば、1980年代まで日本の加害責任が国内で問われなかった背景として、東京裁判の内容開示が遅れたことを取り上げる。しかし、その前のページで日本国内でそれが出版されたのは1968年のことと言っている。なぜ10年以上の空白があったのか。また、仮に開示が遅れたことを理由の一端として認めるにせよ、それと日本の侵略地域などにおける加害責任が問われてこなかったことを素直に結びつけてよいのか。東京裁判によらずとも、そうした加害の記憶を取り上げることは可能だと普通は思うのだが、それがなされてこなかった理由は恐らく別のところに問われなければならない。同時になぜ80年代だったのかについても。またあるいはこのことと関連するかもしれないが、冷戦構造との関わりからの考察があまりにも脆弱だ。日本-英国と日本-中国では文脈が違いすぎる。さらに新聞記事的なトリックも見いだされる(「多くはAだったが、実はBもいたことを忘れてはならない」、と書くのと、「少数にはBもいたが、大多数はAであった」と書くのでは同じ事態を説明していても全く意味合いが異なる)。もっと言えば、彼女が「和解の成功例」として取り上げるイギリス捕虜問題の中で、「日英和解」を評価したいあまり、次のように語る。

むろん今日においても、過去を根拠とする偏見は日英双方に残存する。英国大手新聞のコラムニストのなかには、異様なまでに根拠のない日本批判を行う者もいるし、日本の論者のなかにも英国は過去において他国侵略しかしなかったような文章を書く者もいる。いうまでもなく、こうした他国批判は「売れる」から日の目を見るのだ。


このあとには「その一方で」、と和解活動が進んでいることを評価する記述が続くのだか、そこは置いておこう。ここで引いた文章の最大の問題は、なぜこうした日本批判、英国批判があるのか、という理由で「売れる」から、といった程度の分析に留まっていることだろう。彼女に問いたいのは、では「なぜ売れるのか?」ということだ。売れるということは、すなわちそれを求める人がいるということだろう。こうした偏見や憎悪を助長する議論を欲望する人々が多数いることをはっきり彼女は認めてしまっている。それが彼女の成功例とする和解なのだろうか。和解するのは誰なのか。何をもって和解とするのか。この点があまりにも弱い。
和解という非常に困難な問題に彼女はよく立ち向かっていると思うし、その姿勢は評価したい。本書を読んでいても新鮮な驚きがあったし、目を見開かされた。結論部はあまりにもナイーヴだけれど、それはそれでいいと思う。
ただ、仮に「日本」と「中国」という枠組みを措定するとき、次のようなアナロジーも考えられるのではないか。

あるいじめっ子が、いじめられっ子をボコボコにして瀕死の重傷を負わせた。その後でいじめっ子がこういう、「ごめんな、和解しないか?」「もういいだろう。なぜ和解してくれないんだ?」「今が和解する一番いいタイミングだぜ。」「和解に応じようとしない君にはちょっと問題があるのかもしれないね。」

余りにいい加減な喩えだとの謗りは免れえないだろうけれど、これってやっぱり変な話じゃないだろうか。

0 件のコメント: