2010年1月17日日曜日

ヴィルヘルム・ディルタイ 『近代美学史―近代美学の三期と現代美学の課題』

ディルタイの芸術観を集約する代表的論文集で,一八九二年に発表された.近代美学における十七,十八,十九世紀の三期の特徴を明解に跡づけて,その歴史的帰結から当時における美学の課題を明らかにしようとする.特に,自然主義が果たした歴史的役割を重視してその将来性を強調,示唆するところは大きい.

薄い本ですが、なかなか面白いです。19世紀末という、美術史上の大転換期に書かれたというだけでも興味深い。美術、批評、公衆との相互の関係を取り戻すという(無論20世紀を目前とした、しかしあるいは今日においても?)現代美学の課題を冒頭に掲げ、17世紀的美学、18世紀的美学、19世紀的美学の有り様を見定めることによって、その課題に向き合おうとする。

17世紀的な美学とは何か?ディルタイはそれを唯理的美学として捉える。そしてその祖として注目するのはライプニッツであった。彼はライプニッツのなかに多の一への合一を見いだす。多様なものの統一、あるいは「調和」や「秩序」、あらゆる美はここから生じるとする。「美に対する喜びとはつまり心の力の裏にひそむ、多における統一を成就する法則にしたがって強められた心の力によって生じる意識の結果」である。したがって唯理的美学においては、美は感性的なものにおける論理的なものの表れとして理解される。しかしディルタイは、なぜ「調和」から美が生じるのかという問いに、この時代の美学者は充分に向き合っていないとする。

18世紀美学において、美学者たちは「美」をいわば因数分解していこうとした。つまり、「審美分析/印象分析」である。人々がある美術作品に触れる。そしてそこからさまざまな印象を受け、その総体として美を見いだす。そうした「美」をなすさまざまな印象は、それぞれ対象が包含しているある特質から見いだされたものであり、その結びつきから彼らは普遍性を見いだそうとした。これに対してディルタイは、印象分析は円環論法に陥っている、つまり彼らは美を作り出す要素を探りながら、「美的効果を持つもの」という概念を所与のものとしていると批判する。彼らは「美とは何か」に向き合っているようだが、その探求に当たって美を印象付ける何ものかをあらかじめ設定している、というわけだ。更に、この探求が普遍性を持ち得ない点を指弾する。

こうした二つの美学的方法を補足するものとして彼は歴史的方法を取り上げる。この方法は四つの契機によって徐々に完成された;①ドイツ先験哲学による人間の創造能力の確認、②この創造的能力とそれが模倣する自然の美しい対象(自然美?)との関係、③芸術家の表現手段やその条件との関係、④芸術の発展史的理解。ここにはヘーゲル歴史哲学からの影響が深く根付いているという。印象分析よりも芸術的な創造活動に注目し、その実証的・歴史的な叙述・分析によってアプローチしていく。

ラファエロの作品をラファエロのそれたらしめているもの、モーツァルトの旋律を他の音楽家のそれと区別せしめているもの、それが「様式」である、と彼は言う。そしてその様式がもたらす言語化しきれない印象があり、その芸術の享受の過程は創作の過程と相似していることを指摘する。

我々はある偉大な創造的人間の眼をもって、而していわばその心を通して実相を諦視しようとするとき、また空間的に大いなるもの、動的あるいは倫理的に崇高なものを捉えようとするとき、これは強められた力の伸張を要求する。我々のあらゆる感官、心情、精神の力は呼び覚まされ、生気づけられ、高められる。しかもその際我々の態度はただ再構成することだけなのだから、この力の要求が我々の力に余るということはない。


つまり、芸術品の意義は、それが私たちの感性を鋭敏にし、心を豊かにするところにある。そして、時代や地域を問わずともそうした力を発揮する美術作品こそが「古典」であると彼は言う。作品の真贋や価値を決めるのはこうした力のみであって、抽象的な「美」なるものではない。したがって、絶対的な美などもなければ、その審判者もいない。

その上で彼は「自然主義」へと言及を進める。模倣芸術に関して彼がまず言うのは、肖像画を例に取れば明らかなように、それは単なる現実の模倣ではない。現実の実相がもっともよく表れ出ている点(彼はそれを印象点と呼ぶ)を把握し、それに基づいて現実を描くとき、それは現実の模倣に留まらず、現実の実相のもっとも深い一面を抉り出すことができる……

あまり触れたことのない内容ばかりだったので、復習がてらさくっと整理してみました。例によって誤読はあるでしょうが、薄いけれども色々と勉強になりました。ゼンパーって誰?って感じだったんですが、ここまで絶賛されると気になりますね。20世紀的美学はあったか?図像解釈学のように社会的なものや歴史的なものの表れとしての芸術を捉えるのって美学なのかよく分かりません。「美」というものを社会的なもの、歴史的なものに落とし込んでしまったという評価が適切なのか、あるいは「美」というものはそもそもそのようなものなのか。少し今年はこのことについて勉強してみようかと思います。ただ、上記の引用はとても気に入りました。

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