都会で働く16歳のジーニアと19歳のアメーリア.二人の女の孤独な青春を描いた,ファシズム体制下の1940年,パヴェーゼ31歳の作品.1949年にようやく『丘の上の悪魔』『孤独な女たち』とともに刊行され,イタリア最高の文学賞ストレーゼを受賞.そしてその翌年,パヴェーゼは自殺することになる.
ようやく手に取ることができたパヴェーゼ。ナタリア・ギンズブルグが描写していたような彼と、この作品との落差に最初は驚きましたが。女性の揺れ動く感情をここまで男性による作品でも追えるものなのだなぁ。
本書の河島さんによる解説が非常に優れていると思うので、僕の感想はその枠を出るものではないということは予め書いておいたほうがいいような気がします。
ギンズブルグの『ある家族の会話』にパヴェーゼはしばしば登場します。「背の高いうしろ姿。外套のえりを立て、頑丈そうな白い歯のあいだに火の消えたパイプを噛みしめ、大股に、足早に、肩をいからせて歩いて」いくパヴェーゼ(pp.165)。なにより無口で明晰、理知的で皮肉屋、そのようにギンズブルグは書いていたと思う、そして彼のような皮肉なものの見方は、もはやこの世界のどこにも存在しないかけがえのないものであったと。
彼の皮肉なものの見方がどこから来たのか、そんなことには答えようがないけれども(どこに由来したものでもないとも、全てに由来しているともいえるだろうし)、ここでは一つの仮定を立ててみよう。つまり、「美しい夏」が失われてしまったこと、過ぎ去ってしまったこと、あるいは何者かによって奪われてしまったこと、そこに起源があるのではないかと。「美しい夏」とは生の充溢の瞬間であり、人生における最高到達点(つまりそれ以前もそれ以後もその地点ほどの高みに達することはできない)のことなのだろう。ジーニアはそれを待ち侘び、アメーリアは既にその先にいる。パヴェーゼの生涯についてさほど知らない私がこんなことを考えるのは、単なる推測以上の何物でもないわけだが、パヴェーゼは「美しい夏」を経験できなかったのではないか。「美しい夏」とは生の充溢の瞬間ではあるが、それがあくまで一時的な、あるいは主観的な幻想に過ぎない。そしてパヴェーゼの知性はそれを既に見越してしまった。彼が自らの「美しい夏」を自身から奪い去ってしまったのではないだろうか。だからそれはノスタルジーですらない。「美しい夏」なるものが単なる幻想に過ぎないと看破した彼には平面的な空虚な生しか残されていない。彼の皮肉な姿勢も、あるいは女性に対する抑制のなさもそこに起源を見出せるのかもしれない。これ以上の推論は無意味だろうけれど。
解説で河島はこう指摘する、ジーニアはかつてのアメーリアであり、アメーリアは未来のジーニアであると。しかしパヴェーゼは次のようにも言っていた、これはレズビアンの物語である、と。ジーニアとアメーリアが、3年の時間差はあるものの実は一体であること、これは読んでいれば思い当たることだろう。ダンスホール、カッフェ、モデル、タバコ、物語が進めば進むほど、この2人が(19歳と16歳の)同一人物であることに疑いの余地がなくなっていく。序盤のジーニアは、終盤ではアメーリアのようになり、アメーリアに「どこにでも連れて行ってほしい」と懇願する。そして2年後の夏、アメーリア(となったジーニア)はジーニアと出会う。つまり、この物語は円環のように完結しているのだ。そこから出口がない、だからジーニアはアメーリアにどこかに連れて行ってほしいと懇願する。一方でパヴェーゼの言うとおり、レズビアニズムもこの2人の関係に深く根ざしている。一つの峠を境に向かい合う同一人物の恋愛関係。ジーニアは冒頭でアメーリアに惹かれ、アメーリアはジーニアは告白をする。そして最後にジーニアはそれに応えることになる。しかし、この2人の関係が成立するには、否定がなくてはならなかった。グィードによる拒否とモデル化、グィードは女性を愛することができず(グィードとロドリゲスの関係は同性愛的なものであることが匂わされている)、彼の近くにい続けることを望むならばモデルになるしかない、つまり「静物」のような客体に。この異性に認められないことを契機とする同性愛的関係、これは非常に奇妙で屈折したものにならざるを得ない。
河島は解説の最後に、『祭り』と『犠牲』という観点からこの物語を総括する。つまり、彼女らは『祭り』において必要とされる『犠牲』になったのだ、と。私も彼の意見に同意したい。そしてそれに付け加えるならば、パヴェーゼ自身もその『祭り』の『犠牲』としてその生涯を終えたのではないかと。パヴェーゼの自殺についても、『ある家族の会話』のなかでナタリア・ギンズブルグは回想しています。興味を覚えたら参照されてはいかがでしょうか。
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