2010年3月29日月曜日

ルイ=フェルディナン・セリーヌ 『なしくずしの死 上・下』

『夜の果てへの旅』の爆発的な成功で一躍有名になった作者が四年後の一九三六年に発表した本書は、その斬新さのあまり非難と攻撃によって迎えられた。今日では二十世紀の最も重要な作家の一人として評価されるセリーヌは、自伝的な少年時代を描いた本書で、さらなる文体破壊を極め良俗を侵犯しつつ、弱者を蹂躙する世界の悪に満ちた意志を糾弾する。

“絶望のアナーキスト”から“反ユダヤ主義者・対独協力者・戦争犯罪人”まであらゆるセンセーショナルな肩書きを背負ったセリーヌは、呪われた作家だ。だがその絶望と怒りの底には、声なき弱者への限りない慈しみが光る。そして哀しみとユーモアも。生来負債として負わされている死を、なしくずしに支払っていくしかないと謳う、狂憤の書にして愛に満ちた救いの書。

『夜の果てへの旅』に続き、二作目のセリーヌ。ただ『夜の果てへの旅』を読んでからだいぶ時間が経ってしまったので、重ね合わせながら読むことはできなかった。
文体破壊云々は、日本語に変換されてしまうとよく分からなくなってしまう。原語で読むとなかなかの衝撃、らしい。最も翻訳を介してもこれだけの衝撃を与えるわけですが。あとがきによればある批評家は「この卑猥な叙事詩はフランス語ではない、俗語で書かれている」、と評したとか。最下層の人々の日常やその生き様を克明に描き出そうとすれば、「フランス語」の域からは外れてしまう。逆に言えば、セリーヌ以前のフランス文学においては、最下層の人々の生というのはここまで露骨に描かれてこなかった、ということなのかもしれない。

反ユダヤ主義者やら戦争犯罪人やら、セリーヌを指してよくいわれるけれども、僕が読んだ2つの作品でそれらはほとんど前景化していない。だから、率直に言ってよく分からない。もっとも略歴によると、彼の反ユダヤ主義的言説が活発になったのは『なしくずしの死』刊行以後らしいが。反ユダヤ主義的言説というのが具体的にいかなるものなのか、その背景は何なのかについては若干興味がある。というのも、この2つの小説を読む限り、この世界のあらゆるものが罵倒の対象になっているし、そこにユダヤ人が付け加えられたからと言って特に驚くことはない。にも関わらずユダヤ人に呪詛をはくシーンが全くと言っていいほど登場しないのはなぜか。反ユダヤ主義的言説は彼がこの2つの小説を書いた時点でも、のさばっていただろうに。まぁ、ひとまずそのことは置いておこう。

この小説が呪詛と怒りに満ちた小説だとあらかじめ知っている人は、冒頭の一節に意表を突かれるかもしれない。この物語はこんな文章で始まる。

みんなまたひとりぼっちだ。こういったことはみんな実にのろまくさくて、重苦しくて、やり切れない……やがて私も年をとる。そうしてやっとおしまいってわけだ。たくさんの人間が私の部屋にやって来た。連中はいろんなことをしゃべった。大したことは言わなかった。みんな行っちまった。みんな年をとり、みじめでのろまになった、めいめいどっか世界の片隅で。

『なしくずしの死』というタイトルと、内容紹介の「生来負債として負わされている死を、なしくずしに支払っていくしかないと謳う」、というくだりと、訳者によるあとがき。それらとこの一節を重ね合わせると、なんとなく見えてくることがある。フェルディナンや彼の家族、そして発明家クルシアル、彼らは絶えず不条理な運命に翻弄される(もちろん自分でそれを招き寄せている部分はあるけれど)。人生は苦痛に満ちていて、彼らはきしんだ悲鳴を上げ続ける。彼らの世界、人生はどこまでもこの苦痛の繰り返しに過ぎない。それを繰り返していくうちに、いつしか年を取り死んでいく。彼らは、あらかじめある負債を背負っていて、それを支払い続ける。それが帳消しになったときにもたらされるものが死なのだろう。
ただ、負債それ自体は苦痛だとしても、その支払い自体は希望や歓びのある行為なのかもしれない。彼らは、様々な困難に直面する。それに憤り、嘆き、絶望する。しかしその中でも、何かを見出してそれに乗り越えようとする。そうした乗り越えを目指す彼らの様子を、セリーヌは昂揚感とともにつぶさに描き出している。こうした彼らの強靭さは生の力強さそのものであって、こうした根源的な生の肯定がこの小説にはある。つまり、あらかじめ背負わされた負債を彼らは生の力そのものによって報いようとする。神は助けてくれない。助けてくれるのは、生それ自体なのだ。

だからこの小説はとても力強いし、面白い。「……」を多用し、地の文と会話文と心情の独白が自由に入り交じるこの文体は、否応無しに読む者をこの虚構の世界へと引きずり込む。距離を保ちながらこの小説を読むことはひどく難しい。気付けばフェルディナンやクルシアルと一体化している。そして彼らの思いが転移するがごとく、様々な心情・怒り・共感を読者の植え付ける。だから、読んでいて気分が悪くなることが何回もあった。これほどの力を持つ小説はそうはないだろう。

思わず笑ってしまうシーン、目を背けたくなるシーン、ごちゃごちゃして訳が分からなくなってしまうシーン、色々あります。個人的には家族一緒に船でイギリスに旅行する際のゲロ地獄シーンにどん引きしました。

2010年3月25日木曜日

佐藤俊樹 『桜が創った「日本」—ソメイヨシノ起源への旅』

一面を同じ色で彩っては、一斉に散っていくソメイヨシノ。近代の幕開けとともに日本の春を塗り替えていったこの人工的な桜は、どんな語りを生み出し、いかなる歴史を人々に読み込ませてきたのだろうか。現実の桜と語られた桜の間の往還関係を追いながら、そこからうかび上がってくる「日本」の姿、「自然」の形に迫る。

ちょうど時期も時期ってことで。
岩波新書の隠れた(?)名著です。実に良くできた本で、つくづく感心しながら読んでいました。
桜そのものよりも、桜に関する語り、イメージに焦点を当てています。
面白い点は幾つもありますが、まず古来の人々が「桜」に持っていたイメージ、理想的な桜の有り様を具現化したのが、ソメイヨシノであったということ。このことがソメイヨシノのイメージをそれ以前の(そして今日にもある)桜の多様な有り様に対して押し付けていったということ。それゆえソメイヨシノが登場し、広範に拡大していった後にそれ以前の桜の有り様を見ようとするとどうしてもソメイヨシノのイメージに引きずられてしまう。そうしたソメイヨシノを近代の産物だと見なして、それ以前の、「本来的」な桜の有り様を「ヤマザクラ」に見いだそうとする、つまり人工的かつ近代的なソメイヨシノに対して自然で伝統的なヤマザクラを対置させようとする発想も、まさしく近代的思考に他ならない、と喝破している。
このことがすぐ連想させるのは「ポスト・コロニアリティ」を巡る議論だろう。ポスト・コロニアルな局面において、植民地支配に対する反発として、しばしば、それ以前の原初的な姿を見出し、それに立ち返ろうとする動きが見られる。ただ、それは結局のところ植民地支配下の鏡像に過ぎず、それこそ西洋的な思考に他ならない。こうした矛盾に覆い尽くされた状況が、ポスト・コロニアルな局面ではないか。これについて、酒井直樹は「ポスト・コロニアル」という用語の「ポスト」にはpost factumとしての意味合いがあるという卓抜した指摘していた。植民地体制とはそうした、まさしく取り返しのつかない出来事なのであり、もはやそれ以前に立ち返ることなどできない、ということだろう。

話が逸れてしまった。次に面白いのは、桜と「日本人」が相互参照的に、あるいは再帰的に互いを創出させてきた、という点。「日本人」なる存在が「桜」を育て上げたのではない。ある人々が新たな桜を創出し、桜が「日本人」を創出させていく。そうした連累の果てに、現代の桜を巡る語りは位置している。「桜は日本にしかない」とか「桜のように日本人は……」とか「桜は日本人の感性に合っている」とか「西洋のバラが一輪の美しさであるのに対して、日本の桜は集合の美しさである。これは、西洋は個人主義的性格と日本の集合主義的性格に対応するものだ」とか。
現代の桜の語りの特徴として、個人的な桜に対するイメージが、突然日本人の桜のイメージや「日本」へのイメージへと飛躍していく点を指摘していた。何の論理もなく、情緒的に、あるいは随想的に両者が結びつけられる。こうした語りは確かによく耳にするし、違和感を感じるのだけれども、桜の描写の美しさにごまかされがちなのも真実だった。マイケル・ビリッグがバーナル・ナショナリズムという言葉を提唱していたけれども、確かに彼のいうようにネイションにまつわるイメージはこうした何気ない、日常生活のすぐ近くで機能しているのだろう。

もう一つ挙げれば、ソメイヨシノが接ぎ木によって広がっていくが故に、ほぼ同時期に、同じように咲き、同じように散っていく、ということ。このことが国民国家形成や帝国主義の拡大において一定の役割を果たしていたのではないか、という指摘である。同じような桜を見て、同じように楽しむ、そうしたソメイヨシノを取り巻く空間を地域は違えど多くの人々が共有する。そもそも桜は日本のイメージを密接に結びついている。そんな中でソメイヨシノは「日本/日本人」が形成されるにあたってのいわばイデオロギー装置の一端として機能したのではないか、ということはとても興味深い指摘だった。ソメイヨシノがクローンであるがゆえに、結果的に時間や空間を共有することが可能になった、ということだ。しかも何にも増して興味深いのはその時間、空間の原点ともいうべき地点が靖国神社であったということだろう。この靖国神社と桜の結びつきについて、第2部の前半にかなり紙数を割いて考察を行っている。

桜って面白いなぁとつくづく。桜を巡る語りに改めて注目したくなります。桜に対する著者のスタンスが明確で、単純化や飛躍を自制する語りがとても気に入りました。とても優秀な方なのかな、と勝手に思いました。
ソメイヨシノが咲いているうちに、とはいわないけれどもぜひご一読を。

2010年3月22日月曜日

ダンテ・アリギエーリ 『神曲 天国篇』

三昼夜を過ごした煉獄の山をあとにして、ダンテはベアトリーチェとともに天上へと上昇をはじめる。光明を放つ魂たちに歓迎されながら至高天に向けて天国を昇りつづけ、旅の終わりにダンテはついに神を見る。「神聖喜劇」の名を冠された、世界文学史に屹立する壮大な物語の完結篇、第三部天国篇。巻末に「詩篇」を収録。

ようやく読了。ちょうど各篇1ヶ月ペースで、3ヶ月かけてのんびり読みました。
ラストに向かうにつれて、妙な昂揚を感じますね。おぉ、ついに神のところまで!みたいな。とはいえ、天国篇は、ダンテの警告通り、そしてよく言われるように、難解というか馴染みにくい印象でした。口頭試問みたいな問答や神学的(?)な説明が大部分を占めていて、地獄篇や煉獄篇を読むのとはちょっと勝手が違いました。あと、ダンテの「これを詩で伝えることはできない」といった発言があまりにも多いのにもちょっとなぁ、と。たぶん、彼の言う通りなのだろうけれど。天国での出来事は人間には理解できない、といったことは天国の住民にも再三指摘されることだし、そうしたそもそも人間が理解できないということと、更にそれを言語化して他の人に伝えられるようにしなければならない、ということは不可能なことなのかもなぁ、とか。面白いのは天国には遠近法が成立しないということ。遠くも近くも同じように見える。ダンテのこの時代には遠近法は成立していないはずだけれど、あれはどこまでも人間の擬似的な視点(トリック)だものね。きっと逆遠近法の世界なんだなぁ、と。
煉獄篇を読んだときベアトリーチェとダンテの痴話喧嘩にどん引きした、と以前書きましたが、ベアトリーチェ=神学なんだよ、ということを天国篇を読んでいるなかで教わりました。ベアトリーチェとダンテの関係を単なる男女関係と読んではいけないのですね。あれは痴話喧嘩ではなく、俗人ダンテに対する神学からの叱責、みたいなものなのですね。俗人ダンテが神学によって深く自己を省みて、神学に魅了され、探求し、それとともに天国を旅していく、ということなのですね、反省。でも学問だけじゃなくて、観想も必要だということは、聖ベルナールへと導き手が変わることからわかるそうです。だとすると、ヴェルギリウスとは何だったのでしょう。
ともあれ、やはり天国で歓びに満ち、健やかに過ごしているはずの人々も、例によってフィレンツェやら法王庁やらには痛罵を繰り広げるんですね。あまりにも口さがない、そして俗っぽくはないか、と思いますがダンテの政治に対する執念やら怨恨やらが透けてみえて面白いです。

読んでよかったか?と聞かれると「よかったよ」って答えます。やっぱり面白い、あらゆる意味で。よくまぁこんなものを作り上げたなぁ、と驚嘆、です。『神曲』のなかで再三自分でも言ってるからあんま言いたくないのだけれど、この人は天才的ですね。細かな部品14233個を丹念かつ緻密に汲み上げて、恐ろしく巨大で、にもかかわらず均整のとれた構築物を作り上げたダンテというのは常人ではないですね。


以下は完全におまけです。いつも以上に意味不明かついい加減な内容になっていると思われますので、間違っても信じたりしないように。

少し前に、NHK教育でカステルッチの舞台・インスタレーション『神曲』が放映されていて、それを見て思ったこと。
ダンテの『神曲』に霊感を受けて作られた、あるいはそれを翻案したといった感じ。特に考察をする訳ではなく、疑問やら、素朴な印象やらを断片的に書き連ねただけですが。

地獄篇について、ダンテのそれとはっきりと重なるのは、ぱっと見たところでは、作者のカステルッチが冒頭シーンの犬に襲われるところくらいだろうか。ヴェルギリウスに連れられて地獄を順に巡っていく、というダンテのそれとは大いに異なるように思う。ダンテが地獄を明確かつ幾何学的に秩序づけたのに対し、カステルッチの舞台では、ダンテもヴェルギリウスも登場しない。
ただ、冒頭の犬に吠え立てられるシーンでは、カステルッチだけではなく、あたかも観客も犬に吠えかけられているように思う。そしてそれ以降ダンテ=カステルッチが登場しないことを考えたら、以降この舞台でダンテの役割を果たし、地獄を垣間みるのは観客自身なんだろう。
序盤の登場する“INFERNO”の文字がなぜ左右逆なのか。観客席から見るとそれは左右逆だけれども、舞台の方から見ると、それは左右正しく表記されている。つまり、観客こそが地獄篇の世界に入り込んでいるのだ。

また、ヴェルギリウスに相当する人物がいない訳ではない。この舞台に要所要所に登場するアンディ・ウォーホルがそれに近い役割を果たしている。途中、舞台の男女が次々と両手を開いて投身するシーンで背景に登場するテロップに書かれているのはウォーホルの作品とその製作年。なぜウォーホルなのか。ダンテがヴェルギリウスの影響下にあったのと同様に、私たちはウォーホルとともにあるということか?これは謎。

反復について。投身シーンでも、バウンドシーンでも、首切りシーンでも、同じ「ような」行為が何度も繰り返される。けれども、それは同じではない。バウンドの反復は違った光と音の反応を生み出すし、首切りもいつの間にか人数が減っていく。一方、ダンテの地獄では、地獄の住民は「終わりない責め苦」に苛まれる。火に炙られ、瀝青に煮られ続ける。それは同じものの繰り返しであり、違うものを生み出さない。この違いは一体なんだろうか。これも謎。

上映後のインタビューで、カステルッチは、(多分に韜晦が含まれているであろうが)興味深い発言をしている。地獄篇をなによりも彼は「生」や「人間関係」という文脈で捉えているのだという。
確かに、ダンテ地獄篇で際立つのは亡者たちの過去(生の時代)についてのダンテへの語りであり、様々な責め苦を甘んじて受け続ける亡者の強さだったと思う。彼らが語るのは、故郷、祖国、家族、友人たちとの関わりであり、カステルッチはそれを「人間関係」という。私たちは人間関係を切り離すことのできない「必要なもの」ととらえている。だから、私たちは「人間関係」から逃れることなどできない。それは往々にして地獄行きと結びつく。天国に行くことができる人間はごく僅かなのかもしれない。あるいはその僅かの者も本当に天国に行けるのだろうか。

「天国篇」のインスタレーション。あそこに流れている水をレテ川として捉えてみたい。レテ川は全てを忘却させる力をもつ。煉獄をこえ、天国へ向かうものは、この川の水を飲み、全てを捨て去る。
…しかし、このインスタレーションの男は、いつまでもレテ川から出ることはできない。つまり、それ以前の人間関係などを捨て去ることができないのだ。そしてその様はあたかも地獄の責め苦のようにも見えてしまう。天国行きを約束されたはずの男は、忘却を果たすことができず(それは彼を彼たらしめているものだから)、いつまでも天国に辿り着くことができない。天国篇の短さの意図について、カステルッチは本心を隠した回答をしているのは明らかだろう。天国篇の短さの理由は、天国に辿り着くことが不可能だからに他ならない。実際のところ、レテ川の水を飲むのは煉獄篇最終部のことであり、実のところ私たちはダンテの天国篇の世界に踏み込むことすらなく、現実の世界に送り返されてしまう。

あと、アメリカについて。ウォーホル、バスケットボール、そして煉獄篇の舞台。なぜアメリカなのか。これまた謎。ただ、近代(モダニズム)においてアメリカのもつ象徴性とか神話性とかと関係づけることができるかもしれない。また、イタリアにとってのアメリカ、は気になるテーマ。

ダンテの神曲において、地獄と天国が永遠のものであるのに対して、煉獄は過渡的な移行の状態である。煉獄にいる人々は、生前の行いに応じて、様々な苦行を負い、それは生前の行いを贖うに足るまで続く。煉獄は許しの場ではなく、苦行への忍耐の場である。したがって、煉獄では唯一時間が意味をもつ。カステルッチにおいても同様に、煉獄篇だけが、時間をもつ。しかし、この作品の息苦しさは何といえばいいのだろう。煉獄にいるのは誰かすらも分からない。
ただ、こう考えることはできる。煉獄において贖われるべき罪が人間関係に起因するものであり、私たちがそれを避けることができないのであれば、そしてそれでも天国を希求するのであれば、私たちは煉獄においてそれを贖わなければならない。それは、避けることのできないものだから、どこまでも不条理のものに見える。同様に、このカステルッチの煉獄篇も、どこまでも不条理な物語である。だけれども、煉獄とは、やはりこういったものなのかもしれない。

ダンテの『神曲』はどこまでも英雄譚である。彼らは名をもつ存在である。
一方カステルッチの取り上げるのは「匿名」の人々である。だから、それは英雄が不可能な時代における「私たち」なのだ。天国にも、地獄の奥深くにも行くこともない、大多数の「私たち」。

…本当かよって自分でも突っ込みながら、ですが。時間があれば、ちょっと観なおしてみたい。

2010年3月20日土曜日

丸川哲史 『竹内好—アジアとの出会い』

戦後思想史において独特の光彩を放ち、ナショナリズムやアジア主義の問題を考える上で不可欠な仕事を残した思想家、竹内好(一九一〇~七七)。いま、われわれはその遺産をいかに読み、いかに継承すべきか。魯迅、周作人、武田泰淳、京都学派、毛沢東、岸信介…6つの出会いをとおして竹内の思想をアクチュアルに問い直す。

今年生誕100周年の竹内好。みすずからも竹内関係の新刊があったなぁ。竹内の再評価が進んでいるのはここ10年ぐらいのことなのだろうか。
来週末に彼の本をもとに勉強会的なことをするらしく、なんか糸口になれば、と思って手に取った。丸川さんが竹内好論を書いた!という期待もあって。

僕が竹内の著作を読むようになったのは、学部生の時だったろうか。ちくまの『日本とアジア』を初めて読んだ時の驚きは今もよく覚えている。それはポスト・コロニアルなんて言葉が流行する遥か以前に、こんな根源的な思考をしていた思想家がいたのか、という驚きだった。とはいえ、その時は実は、竹内を「読んだ」というよりも「読み損ね」ていたのだ、と気付かされることになる。
そのきっかけとなったのが、僕が大学院に進学したときに、客員教授としていらしていた孫歌さんの授業。まさしく一流の研究者であり思想家でもある(そして人柄もとても素晴らしい)孫歌先生の授業を受けることができたこと、これは大学院に行って本当に良かった、と思うことの一つだった。テクストを読むということにかけて、彼女ほど抜きん出た方に出会ったことはないと思う。特に竹内を読むということがいかなることなのか、このことをまさしく実践的に思考していく、そんな授業だった。

竹内の文章は、ぱっと見るととても読みやすく、すらすら読んでしまいがちだけれども、実はとても難しい。彼は必死に言葉を見つけ、あるいは作り上げ、自分の思考を表現しようとする。けれども表現しきれない、そんな苦闘やそれゆえの飛躍が随所にあって、それを見落とさずに、あるいはそんな飛躍を埋め合わせながら、果たして彼は何を言わんとしているのかを理解しようとしていく、そうした過程が必要になるのだろうと思う。
彼はなによりも借り物の言葉に頼らない。あるいはたとえ借り物の言葉であっても、最後は借り主にそれを返すか捨てるかして、その本質を自分のものとする。そうした言葉の積み重ねから竹内の論文はなっている。だから、竹内を読むときには、ある意味で竹内に成らなければいけないのかもしれない。けれどもそうして読み手が竹内と一体化しては、そこから有効な思想をくみ出すことなどできない。だから竹内から最終的には離れなければならない。「出会う」こととはこうした運動に他ならない。
竹内が魯迅と出会い、また孫歌さんが竹内と出会ったように、いつか僕も竹内に出会いたい、そう思ってはいるのだけれども。

そんなこんなで丸川本。
竹内好の6つの出会い、に注目した章立てになっている。魯迅、周作人、武田泰淳、京都学派、毛沢東、岸信介。
さすがというかなんというか、なかなか質の高い議論が展開されていて、しっかり読み込んでいるなぁといった印象。思わず見逃してしまいそうな竹内がさらっと述べているところをしっかりとつかみ取り、咀嚼しながら論を組み立てていて、なるほどなぁと唸らされる。
とくに4章、5章は抜群に面白い。「世界史派」との関係に注目して「日本の近代と中国の近代」を読み解くあたりは、新鮮な発見が幾つも。

本書は改めて竹内好の魅力を教えてくれる本だと思う。したがってかなりおすすめ。
竹内好の生涯、研究姿勢、発言、視座、行動と彼のもつ思想は一貫していて、不可分なものなのだと思う(僕の竹内への関心は—恐らくは他の竹内に関心を抱く人々と同じように—彼の思想への関心と同じ位、彼の思想にも向けられている)。そして「思想」というものはこうあるべきなのだ、とも。借り物の思想と言葉に頼らないこと。そして「思想」がその人にきちんと「根付いている」ということ。竹内の思想が強靭なのは、彼の思想が彼自身にしっかりと根付いているからなのではないでしょうか。だから、本当のところ彼の思想だけを抜き出すことなどできない。彼の思想に近づきたいのであれば、彼自身と出会わなくてはならない。そしてその苦闘をするだけの価値がそこにはあるのだろう。まだまだ竹内好という思想資源はくみ尽くされてなどいないのだろう。あるいは今こそ竹内好が必要とされているのかもしれない。

そういえば「人と思考の軌跡」とタイトルの横に書かれているけれど、これは河出ブックスのシリーズなんだろうか。だとしたら、次にどんな本が出るんだろう。

2010年3月15日月曜日

万城目学 『鴨川ホルモー』

このごろ都にはやるもの、勧誘、貧乏、一目ぼれ。葵祭の帰り道、ふと渡されたビラ一枚。腹を空かせた新入生、文句に誘われノコノコと、出向いた先で見たものは、世にも華麗な女(鼻)でした。このごろ都にはやるもの、協定、合戦、片思い。祇園祭の宵山に、待ち構えるは、いざ「ホルモー」。「ホルモン」ではない、是れ「ホルモー」。戦いのときは訪れて、大路小路にときの声。恋に、戦に、チョンマゲに、若者たちは闊歩して、魑魅魍魎は跋扈する。京都の街に巻き起こる、疾風怒涛の狂乱絵巻。都大路に鳴り響く、伝説誕生のファンファーレ。前代未聞の娯楽大作、碁盤の目をした夢芝居。「鴨川ホルモー」ここにあり。

なんともまぁ、くだらない本です。くだらな面白いというか。
妄想とアイディアで、ここまで突っ走れるんだからたいしたものです。
どんどん読み進めていくことができるし読後感も決して悪くないです。「あぁ、面白かった、おしまい!」みたいな感じ。深く考える必要もないし、エンタメ小説としては成功作でしょう。
「読まなきゃ人生損している」(某書店の文庫担当者)ってほどじゃないし、むしろこれを読んだ時間分、人生を損しているんじゃないか、とも思いますが。まぁ面白かったからいいか。
でもなんだか森見登美彦とかぶるなぁ…

2010年3月14日日曜日

トーマス・ベルンハルト 『消去 上・下』

オーストリアの作家トーマス・ベルンハルト(1931-1989)の代表的長編小説をここに刊行。主人公フランツ‐ヨーゼフ・ムーラウが両親と兄の死を告げる電報を受け取るローマの章「電報」と、主人公が葬儀のために訪れる故郷ヴォルフスエックを描く章「遺書」からなる本書は、反復と間接話法を多用した独特の文体で、読者を圧倒する。ベケットの再来、20世紀のショーペンハウアー、文学界のグレン・グールド。挙げ句には、カフカやムジールと肩を並べる20世紀ドイツ語圏の最重要作家と評価されるベルンハルトとは、いったい誰なのか。

〈死神の鈎爪にがっしりつかまれているのが分かる。死神は私が何をしていても、片時もそばを離れない〉
ベルンハルトが本書のモットーに掲げたモンテーニュの言葉である。彼のどの作品においても死と自殺のテーマがライトモティーフのように、繰り返される。ベルンハルトの世界は死に浸潤されている。希望や愛など肯定的価値を帯びたいっさいのものが生息する可能性を奪われた作品世界は、極小にまで切り縮められている。当然、狭く息苦しい。しかし、ベルンハルトの小説が徹頭徹尾暗く重苦しいかというと、そうではない。ここにベルンハルトの文学の奇跡がある。そこにはまるで別世界からさしてくるような透明な光が満ち、妙なる音が響いているのだ。世界を呪詛し自己を否定する独白は通奏低音のように暗く強いうなりを発しつづけるが、耳を澄ますと、その上に幾層にも積み重なった倍音が響いているのが聞こえる。その響きの中に、あるべき世界のイメージが浮かび上がるのだ。

なんと言えばいいのか、うまく言葉が見つからなくてもどかしい。圧倒的な小説。
改行は上巻と下巻の間の1回だけ。あとは改行なしに一気に続きます、ひたすらに。

しかも、内容もすさまじい。家族、故郷、祖国などに対する呪詛が延々と書き付けられる。というよりもあらゆるものに彼が恨み辛みを投げ付ける。もちろん自分自身にも。自己顕示と自己否定の間でもがき苦しむ様が痛々しいまでに伝わってくる。読むしんどさを幾度となく感じ、だけれども読み続けなければならないとも思う。なかなか区切れない彼の文体に、崇高ささえ感じ、ひどく魅了されてしまう。
閉塞感、絶望、不満、憤怒……しかし、なぜだろう。読んでいて主人公が自死を選ぶのではないか、と思うことはなかった。これは本当に奇妙なことで、彼の人生はどこまでも「出口なし」に見えるのだけれど。彼が唯一希望を抱くローマでの生活さえ、息苦しさからは免れえないのに。

けれども、そうした激烈な呪詛がときに読者の笑いを誘うのも事実で、閉塞感の行き着いた先に笑いがある、というのはとても面白い発見だった。こうしたベルンハルトの屈折したユーモア精神も見落としてはいけないのではないか。

最近の(特に日本の)小説の傾向として、ポリフォニックな形式を取ることによって、ある現象の多様な側面、あるいは全体性を描こうとすることが挙げられる。しかし、ベルンハルトはここでひたすらに独白を続けることによって、社会などに対する透徹した徹底的な批判を加えることに成功している。どこまでも自己を通して世界を見ることによって、「世界像」を形作っている。それはひどく醜悪な歪んだ世界の姿なのだけれど、それは世界の一面を凄まじいエネルギーで徹底的にえぐり出している。

彼は、自身にも向けられるこうしたあらゆる呪詛を「消去」という本に結実させようとする。全てを書き付けることによって、彼は全てを消去させようとする。この本は読んでいる途上では、決して書かれえないのではないかと読む者に感じさせる。彼は小説を書かない小説家であり、論文を書かない哲学者であるのだと。
しかし、彼は遂にそれを書き上げる。それは、あるいはこの本そのものなのかもしれない。
そして、書き上げることによって、彼は彼が呪った対象全てを消し去り、彼は生き続ける。この小説のラスト数ページはとても素晴らしい。それ(あるいはこの小説そのもの)はある種の文学的奇跡とさえ思える。

読者を呑み込むほどの圧倒的な力を持つ小説。喫茶店でこの本を読み終え、顔を挙げたとき奇妙な感覚に陥った。それを無理して言葉にしようとすると、とても陳腐になってしまうし伝えられることができないと思うから、言わないけれど。
たまには本に呑み込まれるのもいいものです。

フランコ・ベラルディ 『プレカリアートの詩』

70年代のユートピア的反乱はなぜ現在のディストピアへ行き着いたのか。自殺、自傷、ひきこもりの先に見える未来なき現在のために。ネグリとともに闘い、ガタリとともに歩んだ、今、最もアクチュアルな思想家/アクティビストがイタリア・アウトノミア運動といまを結び、現在の資本主義を分裂分析する。

上智の白石嘉治さんがどこぞで絶賛していたけれど、なるほど面白い。
内容を整理しようとしたけれども、なぜか挫折してしまった。
扱っていることはそんなに難しいことではない。むしろ大雑把とすら思えるほど、ざっくりとした議論のように思う。ざっくりしている、というのは、ここ数十年の流れ、転換を幅広い文脈からうまく抽出している、という意味だ。粗い部分がない訳ではないが(というよりかなりあるように思うけど)、かなり重要な一面をえぐり出しているように思う。

彼がまず注目するのは1977年という転換点。ユートピアからディストピアへの滑落を再現してみせる。その後過去30〜40年間の社会や労働環境の変化から、彼がコニタリアートと呼ぶ者たちの出現に至る過程に注目する。更にこの数十年間、メディア・情報圏において2つの決定的に重要な転換が起こったことに注目する。一つは60〜70年代に生じたビデオ電子圏の形成であり、もう一つが90年代以降に起こった、グローバルなインターネット圏の形成である。彼らはそれまでの世代と決定的な相違を生まれながらにして抱えている、とビフォは考え、この世代に蔓延するとされる精神病理へと分析のメスを入れていく。そんな彼の議論に通底するテーマはやはり自律性(オートノミー=アウトノミア)である。TAZではなく、Non TAZ、つまり永続的な一時的自律領域の確立を彼は論じている。あぁ、そういやハキム・ベイも積読したままだった。

これじゃあ伝わらないなぁ。とりあえず個人的に面白いと思ったところをいくつか抜き書きしてみよう。

世代という概念の意味するのは、テクノロジー的、認知的、想像的な形成環境によって規定された時間性を共有する人々の集合体である。過去の近代的時間においてはこの形成環境が時間とともにゆっくりとしか変化しなかったのに対して、生産関係、経済関係や社会階級間の関係のほうがもっとはっきりと変化したものだ。しかし、ひとたび文字文化的な諸技術がデジタル化へと移行するや、この転換が介在して学習、記憶、言語交換のモードを根本的に変更させ、形成過程における世代的属性の濃度こそが決定的なものとなってきたのである。…世代とは技術的かつ認知的な現象であり、意識の共有地平と経験的可能性を自己構成する横断的主体化の概念なのだ。認知技術的環境の変容が、個体化の可能性と限界を再定義するのである。(14−15ページ)

77年を資本主義支配に対する最後のプロレタリア運動だったということもできるが、それはまた近代の終焉を告げる年だったということもできる。…あの年の文化が含んでいたのは資本主義社会批判だけでなく、近代性批判でもあった。(40ページ)

「プレカリアート」という言葉は一般に、労使関係、賃金、そして労働日の長短に関連づけられた固定的ルールにはもはや規定されえない労働領域を象徴してある。しかしもし過去を分析するなら、労使関係の歴史においてこうしたルールが機能したのはごく限られた期間だけだったことがわかる。…労働運動の政治力が衰退したのにともない、資本主義における労働関係の本性的不安定性とその残忍さが再び出現したのである。(46ページ)

新たな現象であるのは、労働市場の不安定性ではなく、情報労働を不安定なものとしている技術的かつ文化的な諸条件の方なのだ。技術的条件というのはネットワークにおける情報労働のデジタル再結合のことであり、文化的条件というのは大衆的教育と消費への期待のことである。…本質的な点は労働関係が不安定化することではなく、むしろ労働力、能動的な生産主体としての個人の解体にあることがわかる。(46−47ページ)

カタストロフとはギリシア語で、位置の変化によって前には見えなかった物事が観測者に見えるようになることを意味する。破局は新たな可視性の空間を開くものなのだ。そしてこの可能性ゆえに、しかしまたパラダイムの変化が求められる。(234ページ)

テクノロジーの発達はここ数十年加速度的に進展した。これを単なるツールや科学技術の問題として捉えてはいけない、それは「全面的」なものであって、私たちの身体や思想の有り様を根幹から造り変える事態なのだ。しかし、それについての思考がまだまだ貧弱なように思う。それについて説明できるような言葉があまりにも少ない。ビフォがここで様々な用語を生み出すのは、そうした説明のための言葉の欠如を補うためなのだろう。それが読みにくさに繋がっているとしても、何らかの言葉を編み出さない限り、この転換を十分に議論することができない。
個人的な話をすれば、僕はこのビデオ電子世代と接続的世代のあわいに属する。だから、率直に言って彼の議論に対して違和感を感じるところもある。特に、母よりもテレビと関わる時間が多くなった、という下りはジェンダー的にもかなり問題のある議論だろうし、あまりに大雑把な感は否めない。だけれども、だから過去へ立ち戻ろう、という発想をビフォは微塵も抱いていない。それは不可能であり、どこまでも稚拙な発想に過ぎない。
彼は、自律性に何らかの希望を見いだす。それが破局の後にあるものだとしても。

花粉症と薬の副作用のせいで、頭がぼんやりしてまとまらない。もしこれを読んでいる人がいたら、すみませんと謝りたい気持ち。彼の分析は面白いんですよ、本当に。
(ビフォについては洛北出版からも近刊予定あり)

2010年3月7日日曜日

永井均×小泉義之 『なぜ人を殺してはいけないのか?』

14歳の中学生に「なぜ人を殺してはいけないの」と聞かれたら、何と答えますか? 日本を代表する二人の哲学者がこの難問に挑んで徹底討議。対話と論考で火花を散らす。文庫版のための書き下ろし原稿収録。

読み終えてから、どう感想を書き散らかしたものか、と悩んでいて随分経ってしまった。で、悩んでいるうちに、内容をほとんど忘れてしまった。
つまり対談の「噛み合わなさ」ばっかりに引きずられて、肝心の内容をすっかり忘れてしまった、ということ。とはいえこの本を600円で発売できる河出って一体どうなっているのだろう。よっぽどたくさん刷っているのだろうか。まぁいいや。

「噛み合わない」ということは「失敗」ということとイコールではない。この対談を「失敗」と評する人がいるけれども、そもそも対談が「成功」するとは、どんな状態だろう、と思う。こうした成功/失敗を評価する根底にあるのは、弁証法的な発想だと考えて間違いないだろう。テーゼ、ジンテーゼ、アウフヘーベンというお決まりの流れ、これに則っていれば対談は「成功」、則っていなければ「失敗」、と要はそういうことではないだろうか。この対談はそうした流れには明らかに沿っていない、だからこれは「失敗」である、と。また、Amazonレビューに散見される、どちらかに軍配を挙げたがる発想も何だかなぁ、と思う。対談に「勝ち/負け」もあるまいに。

単純に、この問いの立て方が間違っているのだろう。「なぜ人を殺してはいけないのか?」、この問いが発せられる文脈ってかなり特異なものではないだろうか。まず、ここには主語がない。この問いを「なぜ(私は)人を殺してはいけないのか?」と採るか、それとも「なぜ(人は)人を殺してはいけないのか?」と採るか。また、この問いはどこ(誰)に向かって発せられているのか。そして、この問いが本当に問いなのか、単なる修辞疑問に過ぎないのではないか。そもそも「(私or人は)人を殺してはいけないのか?」というこの問いを飛ばして、その理由を問うこと自体、かなり乱暴な問いの立て方という印象を拭えない。
これがこの対談がよく分からなくなってしまう一つの要因。両者でこの文脈の理解がズレている。
だけど、逆に言えばここから彼らの思想とその根本的なズレを取り出すこともできるはず。これは今後の課題。
むしろ、そっちに読み開いていかないと、もったいない。

あと、必ず出るだろうと思っていた、幾つかの話が出なかった。
「戦争」「収容所」「人間/動物の間」。これにはがっかり。「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問い自体が成立しない状況から考えていくやり方もあったのでは(特定の方向ばかりに向かってしまい、話も次々それていくのは対談の魅力であり、欠点でもある)。

面白いと思うかどうかは微妙ですが、600円なら買ってもいいのでは。

2010年3月2日火曜日

日野啓三 『あの夕陽・牧師館』

最初の小説「向う側」から近作「示現」まで日野文学の精髄を示す8篇を収録。

ベトナム戦争中、失踪した記者の行方を追う著者初の小説「向う側」、自らの離婚体験を描いた芥川賞受賞作「あの夕陽」等初期作品から、都市の中のイノセンスを浮上させる〈都市幻想小説〉の系譜、さらには癌体験を契機に、生と死の往還、自然との霊的交感を主題化した近作まで8作品を収録。日野啓三の文学的歩みの精髄を1冊に凝縮。

少し前に「風を讃えよ」と「七千万年の夜警」を読む機会があって、それからずっと気になっていた日野啓三。
先日古本屋でこの本が手に入ったので(「七千万年の夜警」は入ってないけど)読んでみました。

向う側/あの夕陽/蛇のいた場所/星の流れが聞こえるとき/風を讃えよ/ここはアビシニア/牧師館/示現(エピファニー)

の8篇、いずれも短編です。これらはほぼ時系列順に並んでいるのかな。
池澤夏樹みたく、これらに通底して日野啓三が扱ってきたテーマ、などというものを掘り下げることなどはできないけど。…というよりそもそも、日野啓三の小説を深く掘り下げていったら日野文学の核心、みたいなものに辿り着けるものだろうか。僕もそれに近いことをやろうとしているのかもしれないけれど、その先に「核」があるというのは幻想なんじゃないだろうか。結局、池澤が取り出してくる「向う側」なんて抽象的なテーマは日野啓三以外の人びとも取り上げていることで、そんなものを「核」だなんて大仰な言い方する必要ないでしょう、とか思ったり。とはいえ、そうした核心をつかみ取ろうとする運動や、「核」のように見えるものを呈示してみせることは必要なのかもしれない。
僕もそれに近いことをやろうとしている、と書いたけれども、違うとすれば、池澤がそれを客観的な「日野文学の核」として呈示しようとしているのに対して、僕のはただ主観的な、「読んで感じた印象」に過ぎないということだろう。

ともあれ、上に挙げた8つの短編のうち、前半の3つは正直言ってそこまで面白いとは思わなかった。デビュー作しかり、芥川賞受賞作しかり。自然の細密な描写とか色彩感覚、光への感受性とかはすごく気に入っているし、僕が勝手に思う「日野啓三らしさ」の一面はそこに描かれている。けれども、この3つであくまで主役なのは「人間」だということがいまいち気に入らなかった。これについては少しあとで考えるべき点かもしれない。

残りの5篇についてはそれぞれに素晴らしい短編だと思う。
「星の流れが聞こえるとき」に登場する少女、「風を讃えよ」に登場する癲癇の少年と風男、ここでも日野は人間を描いているじゃないか、と思われるかもしれない。けれども、彼/彼女らは、「器」のようなものだ。そうした「器」を介して私たちは星の流れる音を聞き、風の呼吸を感じ取る。彼が描きたかったのは、そうした人間そのものではなく「器(としての人間)」を介して聞こえてくる「自然」そのものではないだろうか(ひょっとしたらここにそうした「器への生成」も付け加えるべきなのかもしれないが)。彼/彼女を通して、私たちは雪の降る音を聞き、風の呼吸を聞く。
「風を讃えよ」について、ある精神科医が、この小説は、統合失調症の人間から観た世界を見事に描ききっている、と評したらしい。それについては僕は分からない、としかいえない。けれどこの短編を読むたびに、やはり「風の神殿」に響く風の呼吸が聞こえてくるし、ともすれば光の粒子すら見えるような気がしてしまう。癲癇を煩った人間が、発作時に感じるという恐怖と恍惚の混淆や、幻覚をこの少年は「ハクイ」と呼ぶ。モノも音もすべてが薄れ、溶け合い、透き通るような体験、それを少年と風男は共有している。そして、また彼らはその「ハクイ」を風の呼吸からも感じ取る。とても神秘的で美しい、短編小説。
「ここはアビシニア」もまた、印象的な小説。19歳で写真集を出版し、その後世界を放浪するなかで、カメラを捨てた写真家遠井一を巡る物語。戦災で全てが燃え尽きた東京は、その後奇跡的な回復を遂げる。そしてオリンピックを目前にした昂揚状態のなかで、彼は写真集を出版した。彼は、東京という虚構的な現実を下支えしているもう一つの「現実」を写し出そうとする。それは朽ち行くアパートであり、高架道路の裏にあるむき出しのコンクリートであり、メッキが剥げ落ち、緑青を吹いている流し台であった。そしてそれらは単に東京のもう一つの姿を映しているのではない。それは「現実」であるとともに未来の東京でもある。彼は「現実」を執拗に撮ろうとし続ける。しかし、カメラは現実のごく一面を切り取るに過ぎない。彼は海外を放浪し、アビシニアに辿り着く。そして圧倒的な現実を前に、それをカメラに収めることを放棄し、自分自身がカメラとなり、身をもって「現実」を浴びる。しかし、そうした「現実」に私たちは耐えられない。「現実」に近づきすぎた彼は、もとの世界に帰ることができなくなってしまう。そうした遠井の姿を「私」は「夢の島」で幻視する。そしてそんな彼の姿をアビシニアのランボーと重ね合わせる。私たち(こういう一般化は安易か)は「現実」を執拗に追いかけようとするが、私たちはそうした「現実」に耐えることはできない。恐らく創作というのはこの僅かなあわいの領域においてなされるものなのだろう、彼のように(ランボーを含めていいのかはわからないけれど)帰って来れなくなってきた人びとを私たちは数多く知っている。
「牧師館」は少し不思議な感じ。なぜ終盤部にいきなりキリスト教の話を持ち出したのだろう、またなぜ(教会ではなく)牧師館を幻視したのだろう。手術を間近にして、ふと奥多摩の渓谷に向かった「私」は渓谷で自然の音にじっと耳を澄ませるうちに、とくに夕陽の一瞬に自然と通じ合えたような心地になり、落ち着きを取り戻す。そして彼は駅に戻ろうとするのだが、そのときに森のなかに牧師館を幻視する。そのなかで老牧師は「われわれはもう自然に戻ることはできないのだよ」ときっぱりと言う。「われわれ」のなかには、キリスト教だけでも「男」だけでもなく、私たちも含まれることだろう。「男」と自然との交感をここで自ら否定しているのだろうか。それとも自然に戻ることはできないけれども、交感することはできる、ということだろうか。すこしよくわからなかった。
最後に「示現」について。これはオーストラリアについて書かれた文章のなかでもっともよくできたものの一つではないだろうか、と勝手ながら思う。ガッサン・ハージの『ホワイト・ネイション』などを読んでいて、広漠な自然(アウトバック)に対する恐怖感が白人オーストラリア人に根付いている、というのを少し言い過ぎだろう、と思っていたのだけれど、なるほどな、と納得させられた。日野の観察眼はとても鋭敏で、レストランでの様子や街の夜景からそうした恐怖感や孤独感を具に捉えている。オーストラリアの中心にある空虚、「広大な無」に対する恐怖感。自然の圧倒的な存在感によって、人間(白人)はそこで主役になることができない。
そして「私」は月夜のエアーズロックと対面する。ここの描写の美しさは感動的ですらある。面白いのはその後に「私」が死にそうになるところ。ここに「ここはアビシニア」との近似点を見いだすことができるかもしれない。
最後のアボリジニとの対話。これも、とてもいい。

なんだか好きな小説ばかり。
日野啓三、もう少し読んでみようかな。