名もなき人びとの恋愛、不倫、小さな決断を描いた世界は、「アイリッシュ・バラッド」の味わいと、哀しみ、ユーモアが漂う。アイルランドの新世代による、傑作短篇集。小池昌代氏推薦!
あんま期待してはいなかったけど、なかなか面白かった。
これってアイルランドっぽいなぁ、と思ってしまった。アイルランド文学なんてほとんど読んだことないし(興味深い人が沢山いるのは知ってるけど、なかなか手を出せず…)、アイルランド文学ってものから(そんな括りが有効だとして)何らかのテーマが抽出できるものなのかはよくわからないけれど。
荒涼とした自然と、ケルト神話(神話とまではいかなくとも土着的な伝承)と、カトリックと結合した封建的かつ家父長的な秩序。そしてちょっと幻想的だったりも。
とはいえ、何よりもそこに生きる人びと。
彼女の文体は、ほどよい透明感(この短編集のなかでガラスがしばしば登場するが、ちょっと曇ったガラス、のようなイメージ。自然でも人間でも透過させてしまうような、けれどもどこかぼんやりとしているような。うん、ちょうどこの本の表紙みたいに)があって描写力にも富んでいる。こねくり回したような、もってまわった表現はほとんど出てこないし、シンプルに文章を積み重ねていく。だからあっさりと読んでしまうのだけれども、語られる内容は同衾であったり不倫だったり、神父との性交渉であったり、とても生々しい。家族や、男女や親子の絆と、その破綻。あるいは取り返しのつかない過去。それは結構哀しい話なのだけれども、彼女はその哀しさを誰かに向かってまくしたてようとはしない。そうではなくて、しばしの沈黙のあとに、適切な言葉を選び取りながら静かに物語る、あるいは呟くような、そんな印象。ちょうど、『花様年華』でトニー・レオンがカンボジアのとある遺跡の壁の穴に秘密を吹き込んだように。
そしてラストの小さな決意。救い、というほどではなく、劇的に何かが変わる訳でもない。ただ、明日からも生きていこう、ということを決意する。たったそれだけのことだけれども、なぜだろう、とても心に残る。
動物の視点の挿入など視点の切り替えも節度を弁えていて効果的。自然や動物も巧みに描くけれども、やはりこの小説の主人公はアイルランドに住まう人間(アメリカの話もあるけど)で、彼らのやり取りや会話がとても面白い。うまいなぁ、と。
「青い野を歩く」、「降伏」、「森番の娘」あたりは印象的。
気になること。原文に当たらずとも気付いてしまうような、明らかな誤訳は勘弁して欲しい。興ざめしてしまう。
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