2010年2月26日金曜日

田中優子 『カムイ伝講義』

コミック界の巨星・白土三平のライフワークが江戸学の新視点を得て、新たな輝きを放つ!「いまの日本はカムイの時代とちっとも変わっていない」競争原理主義が生み出した新たな格差・差別構造を前に立ちすくむ日本人へ―。江戸時代研究の第一人者が放つ、カムイ伝新解釈。

昨日の勉強会のための参考文献。読んでくるように、といわれたので、勉強会前日の仕事帰りに慌てて書店で購入し、4時間くらいかけてさくっと読み終えました。おかげでずいぶんと粗い読書になってしまい、心残りですが。
そもそも「カムイ伝」読んでないしいきなりこんなの読んでもなぁ…と思っていたのですが、なかなかどうしておもしろい。
「カムイ伝解読」みたいな感じではなく、あくまで同書を素材として扱いながら、江戸時代のこれまで語られてこなかった側面に踏み込む、という形式なので、読んでいなくても十分楽しめます。

「これまであまり語られてこなかった側面」とは、例えば農民、穢多、非人、漁民やマタギ、サンガなどの生活、日常実践など。講演のなかでも田中さんが指摘していましたが、文学や美術からのアプローチではどうしても町民中心となってしまい、大多数を占めていたはずのそれらの人びとに接近することが難しい、ということです。また、武士についても、実際にその内部あった無数の階級差の存在や、「困窮する武士」についてはあまり注目されてこなかった、と。
あまりに知らないことだらけで、江戸時代って面白い!と素直に思いました。
「一揆」についても、「穢多」と「非人」の違いについても。
「一揆」というのが突発的な暴動とはほど遠い、周到に準備され一定の手筈の上に則った、社会運動であったということ。それは体制の破壊や「革命」ではなく(日本の思想史のなかで「革命」思想というのが全くと言っていいほど存在しない、と田中さんは指摘していました)、条件闘争というか、体制の枠組みの内部で、その是正を求める運動であったということ。
また、「穢多」と「非人」について、「カムイ伝」では完全に両者を混同しているが、その間には厳密な分断線が引け、それは端的にいえば前者は(生まれてから死ぬまでそれを逃れることができない)「身分」であるのに対し、後者は離脱可能な「職能」とでもいうべきものであった。「弾左衛門」のことも知らなかった(これは僕の無知ですが)。浅草界隈というのはとても面白い。相撲、神社、寺、山谷、弾左衛門、吉原、SKD、アサヒビールのモニュメント…
本のなかでは、出てこなかったけれども、「穢れ」とされてきたものと、「神聖」とされてきたものの意外な近しさ、について講演では少し触れていました。聖性と汚穢。文化人類学っぽいテーマですが、興味深い。
また、「かわいそうな一家」についても彼女は言及をしていました。
それに関連する、馬鹿げた問いを立てるならば、一体「天皇家」とは何なんだろう?憲法などに定められた、もう一つの身分。名字ももたず、職業も自由に選択できず、選挙権も、行動の自由もない。ある意味、軟禁状態にあるようにすら見える一族。他方で、多くの人びとが彼らに特別な感情を持っている。そもそも彼らって「日本国籍」は持っているの? 考えてみれば見るほど不思議な存在。

そんなことはさておき。
少し江戸時代の事象から現代日本を批判しようとするやり方が鼻につきますが、内容はとても面白いですよ。専門家にとっては当たり前のことなのかもしれませんが、興味深い発見がたくさんです。この人はなかなか視野が広い研究者かも。

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