2009年10月5日月曜日

岡田利規 『わたしたちに許された特別の時間の終わり』

あ、始まったんだねやっぱり戦争。イラク空爆のそのときに、渋谷のラブホで4泊5日。――井上ひさし氏、野田秀樹 氏らに激賞された、岸田賞受賞作を小説化。フリーター夫婦の日常を描いた「わたしの場所の複数」を併録。とらえどころのない現代を巧みに描く新鋭、チェル フィッチュこと、超リアル日本語演劇の旗手、待望の小説デビュー!

「三月の五日間」と「わたしの場所の複数」、どちらも面白く読みました。好きなのは後者かな。
チェルフィッチュの舞台、行きたいなぁと思い続けてなぜか叶わない。行きたいなぁ。

さて、この小説。Amazonのレビューではぼろくそでしたが、僕はいいなぁ、わかるなぁ、という感じがした。なんというんだろうか、自分と感覚的に近いものを書く作家に初めて出逢ったのかもしれない。この言い方は語弊があるけど、そんな複雑なことではなくて、時代背景というんだろうか、それをある程度共有できる作家なのかもしれない、そう感じました。いままで、僕の読んだ本は全て僕より上の世代が書いたもので、見た映画も、みんなそうだった。それゆえにどうしようもない乖離がそこにあったように思う(この小説を読むまでそんなことに気付く術もなかったのだが)。そう、共感できるとか文体に惹かれるとか以前に「わかる」という感覚、それを抱いていた。きっと何を言っているんだか分からないと思いますが。
Amazonの痛烈なそして的外れなレビューを読みながら、それ書いた彼(あるいは彼女)と僕、あるいは岡田利規とのズレはきっとどうしようもないことなんだろうな、と感じています。

もちろんだらだらした文章は読んでいてうんざりさせられるけれども、それは恐らく意識的にやっていることで、このだらだらした感覚はある意味では僕も共有している(僕はそれを嫌悪しているけれど)。
何よりも、あの5日間に何をしていたのだろうと思わずにられなかった。そして僕にとってのその5日間のことを思い出せないことに―分かっていたけれども、それでも―ショックを受けた。勿論あのときテレビで流れていたイラク侵攻作戦の報道、ニュースキャスターの興奮した声色、「信長の野望」のようにマッピングされた米軍部隊とイラク全図。僕はあの出来事を、実際のところ経験しなかったしそれは僕の生を通過しさえしなかった。それはある意味ではどうしようもないことだけど、それでもそのことに対する負い目を感じる。それはさておき、声を上げることの妨げになるのは一体なんなのだろう?

もう一つの小説、これもよかった。古いアパート、ここで物語は始まって完結する。主人公の女性はそこから歩み出ることはないし、正直のところほとんど動かない。けれども、世界は広がっていく、ネットや携帯を介して、そして夢想を介して。だからその視点は自由に浮遊して時に夫が仮眠を取るベッカーズを描写し、時にブログの書き手のそれと一体となる。それがとても面白い。何よりもこのラストの部分を読んで「おぉ!」となった。このシーンをどう解釈すればいいのだろう…?
ともあれ、「個人的には」一読の価値はあります。他の人がどう感じるかは知りません。

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