キリスト教にとって大切なのは、身体ではなく精神、肉体ではなく霊魂ではなかったか。しかし、このキリストの身体をめぐるイメージこそが、この宗教の根幹にあるのだ。それは、西洋の人々の、宗教観、アイデンティティの形成、共同体や社会の意識、さらに美意識や愛と生をめぐる考え方さえも、根底で規定してきた。図像の創造・享受をめぐる感受性と思考法を鮮烈に読み解く、「キリスト教図像学三部作」完結篇。図版画像満載。
読み終わった本が何冊かあるんですが、ちょっと忙しいのであんまり書けていません。
中高がミッションスクールだったので、ミサやらなんかは偶にあったんですね、聖水なる液体をかけられたり、信者の学生がウェハースを食べてたり。僕は当時全く関心がなかったのでなんだこれ?って感じだったんですけど。あぁでも聖書を読むのは好きでした。どこへいったんだろう?
この本はなかなか面白かったです、なかなか内容が濃い。内容は5つのチャプターに分かれていて、(やや冗長ですが)それぞれの内容を紹介してみようと思います。
1章ではキリストは美しかったのか、醜かったのか
2章では聖体拝領という「儀礼」について、あるいはキリストの肉や血を食す、ということについて
3章ではキリストのイコンと聖遺物について
4章では「鏡」としてのキリストのイメージについて
5章ではキリストの受難の傷がいかに「愛」についてのイメージを喚起してきたかについて
それぞれ考察を行っています。
たとえば1章でキリストの美醜について取り上げる際、彼が注目するのはその歴史的な変遷です。様々な教父の発言、そして絵画からその揺れ動き、移り変わりに注目していく。美しい/醜い、あるいは醜いから美しい。画家はある時代には醜さを描くことに最大限の努力を払い、別の時代には理想的な美しさを追求しようとする。キリストを描く際、美/醜は美意識の位相にあると同時に宗教感情の位相にもある。キリストの想像を絶する受難の様は人々の心に深く訴えかける。それは行き過ぎるとキリストに対する冒涜として見做されるかもしれない。逆に理想的な美をもって描くことはその超越性や美しさを訴えかけることになるが、時にそれは官能性、異教性を孕むことになる。その揺れ動きが今日も続いており、例えば映画においてキリストを描くこと(「パッション」)に対する批判や評価もこういった問題の延長線上にあるのだという。
この本の面白さは、彼の自在で横断的なアプローチにあると感じます。例えば聖体拝領についてはその儀礼的な側面に注目し、人類学的なアプローチで接近する。パンは肉であり、ワインは血である。だとすればそれは最大の禁忌であるカニバリズムではないのか?あるいはそれは「神」を食べることではないのか?メアリ・ダグラスやヴィクター・ターナーやらも出てきたり。
読んでみて、改めて図像解釈学(イコノロジー)って面白いなぁと感じました。本書のように人類学的であったりジェンダー研究的であったり神学的であったり、宗教学的であったり様々なアプローチを用いることで1枚の絵画から本当に沢山のことを知ることができるんだなぁと。「おわりに」で著者が語るように、それぞれの時代の人々がその絵画をどのように見つめていたか、そしてその視線が絵画を鏡として人々にどのように跳ね返ってきたのかを考えることの難しさと面白さ。彼は人々の想像力や欲望、感情を度外視した美術史の有り様には批判的であって、そうではない美術の語り方をめざしている―それにはヴァールブルグから受けた影響が大きいのだというが。900円以下でこんな面白い本が買えるなんてって感じです。中身のない感想で本当に申し訳ありませんが。
後日書き直します
0 件のコメント:
コメントを投稿