2010年7月22日木曜日

ジル・ドゥルーズ 『批評と臨床』

文学とは錯乱/一つの健康の企てであり、その役割は来たるべき民衆=人民を創造することなのだ。文学=書くことを主題に、ロレンス、ホイットマン、メルヴィル、カント、ニーチェなどをめぐりつつ「神の裁き」から生を解き放つ極限の思考。ドゥルーズの到達点をしめす生前最後の著書にして不滅の名著。

カバンやらポケットやらに突っ込んでだらだら読んでいたらぐちゃぐちゃになってしまいました。そんな読み方ができるのも文庫ならでは。ポケットにドゥルーズが入る、ふとした時間にぱらぱらページを捲れる、というのはなんだか贅沢な心地がします。

秩序だった哲学書ではもちろんなく、これはむしろ批評・論文集といった感じ。カント、ニーチェ、スピノザ、ベケット、ルイス・キャロル、ロレンス、メルヴィル、マゾッホ……など彼がこれまで好んで取り上げてきた人物がごっそり取り上げられています。それもまた贅沢な感じ。素人から見ると、議論の内容もどこか集大成といった趣があります。ある程度網羅されているような。

しかし、まぁなんという速度なんだろう。まるで猛るような筆致。相変わらずなかなかついていけないけれど、この文章に惹かれてしまう。終章の『エチカ』論はとても面白くて、あぁ『エチカ』読みたい、と。そういえば『スピノザ』のラストは感動的ですらあったなぁ。あぁスピノザもドゥルーズもいい奴だったんだろうなぁ、などとふざけたことを思った記憶があります。この第五部とドゥルーズの速度を同列に捉えようとするのは筋違いなんだろうか。

第五部の幾何学的方法はある発明の方法であり、それは、隔たりと跳躍、中断と縮約によって、すなわち、論述する理性的人間というよりもむしろ探しまわる犬の流儀で、事を進めることになるだろう。…これらの性質は、「より手速く」するための、論述における単なる不完全さとしてではなく、絶対的速度を獲得する新たな秩序=次元の思考の力能として姿を現しているのである。(pp.306-307)

バートルビー論は個人的には面白かったなぁ。バートルビーに新たなるキリストを見る、というのはそれだけ聞くとおいおいって思わずにいられないけれど……。論文読んでいくと、あぁそういうことか、と思わされる。まぁ流されやすいので。そういえばアガンベンのバートルビー論って読んでないなぁ。月曜社だっけか。

速度と密度がすごすぎて、とても読み込めていません。あと20年くらいはかかるかもしれないなぁー。

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