2010年7月15日木曜日

ステファヌ・ナドー 『アンチ・オイディプスの使用マニュアル』

逃走か、あるいは競闘か?
21世紀の最もラディカルな
『アンチ・オイディプス』臨床実践!

ポップ心理学、資本主義、そして死。
混沌が支配する日常を《くたばらずに》生き抜くために、
ガタリ=ドゥルーズはいかに実践しうるのか?
カフカ、プルースト、三島由紀夫、
『スター・ウォーズ』、バッグス・バニーを駆使する、
鮮烈なエクリチュール機械の誕生!


読み終えて日が経ってしまい、忘れてしまった部分が多々。というのもこの本の次に読んだ本があまりに素晴らしかったから。
この三島論はどうなのだろうか。プルーストについて書いているところはとても面白かったなぁ。

挑発的かつお茶目な文体は印象に残っています。たまにくどくていらっとしますが。

ポップ心理学のくだりを読んで、あぁ、どこも事情は同じなのねと。こういうのによくもなぁうんざりせずに付いていくものです。

あと、そうそう、『表象』で「ドゥルーズの逆説的保守主義」とかいう小特集が組まれていたことを思い出した。これって「ドゥルーズ=ガタリの逆説的保守主義」とはいえないけれど、ドゥルーズとガタリを無理やりぶった切ってドゥルーズの方だけ見たら、なるほど逆説的保守主義ですね、っていいたいだけというように解釈してしまったんだけれども。でもそれだったら『アンチオイディプス草稿』を訳した当人たちがわざわざするほどのことでもないしなぁーと思案していたものでした。

もちろんAOがベースになっているんだけれど、注釈書のような退屈な代物じゃない。『使用マニュアル』となると、読者に使い方を説明してくれそうだけど、何よりもこの本自体が一つのAOの活用になってます。アンチ・オイディプスを実践すること。何のために? くたばらないために。

ノスタルジーについて言及も印象に残っている箇所の一つ。ノスタルジーと「失われた時」を求めることの違い。そういや光文社の古典新訳からも『失われた時を求めて』の訳が出るみたい。某訳の『純粋理性批判』なぞいいからこっちに力を注いで欲しい。

そういや、最近のドゥルーズ=ガタリについて論じたものってあまり脱-コード化とか使っていないような気がする。気のせいかな。

こんなのですみません、今度はちゃんと読みます。

0 件のコメント: