2009年3月20日金曜日

トルーマン・カポーティ 『ティファニーで朝食を』

第二次世界大戦下のニューヨークで、居並ぶセレブの求愛をさらりとかわし、社交界を自在に泳ぐ新人女優ホリー・ゴライトリー。気まぐれで可憐、そして天真爛漫な階下の住民に近づきたい、駆け出し小説家の僕の呼び鈴を、夜更けに鳴らしたのは他ならぬホリーだった……。表題作ほか、端正な文体と魅力溢れる人物造形で著者の名声を不動のものにした作品集を、清新な新訳でおくる。

今更ながらカポーティの小説を読みました。僕は彼をいわゆる「ノンフィクション・ノベル」の作家として捉えていて、『冷血』ぐらいしか読んだことなかったんですね。先日友人とその話をしていたところ、「お前バカじゃないの?カポーティは寧ろ短編小説の方が良質だよ」みたいなことを言われまして。すっかり反省した僕は、ちょうど文庫になっていたこの短編集に手を出してみたわけです。

確かに僕が間違っていました。彼の小説家、ストーリーテラーとしての才能は抜群だと(村上春樹訳を通じてですが)感じました。展開、表現、描写の巧みさは、僕みたいな素人目にもわかります。
ただ、僕は表題作よりも最後の短編「クリスマスの思い出」が気に入りました。村上春樹があとがきで指摘しているように(彼は自分のお気に入りの作家についての「あとがき」を書くのが抜群に上手いと思います)、彼の小説の根底にあるのは「純真さ」であって、ホリー・ゴライドリーにしてもミスタ・シェーファーにしても彼の作品で主要な位置を占める人物にはある種の純真さ―それは時には屈折した形で表出し、彼/彼女の行動を規定する―があって、それが僕がこの作品群に胸を打たれた理由でしょう。
そのような純真さの最たるものとして僕はこの最後の短編が気に入ったわけです。

この作品を読んで、思ったのは中勘助の『銀の匙』に似てるなぁ、ということです。語り手の子どもと祖母(伯母)との深く親密な関係。子ども時代の純真さ。そしてそれがもはや失われてしまったということ。温かく無垢でユーモアにも富んだ、けれどもどこか寂しい物語。ノスタルジア?確かに。けれどもそれは例えば、3丁目の夕日とかを懐かしむとは全く質の違うものでしょう。後者のノスタルジアは忘却/隠蔽と親和性が高いように思われます。

最後に一言。小説家カポーティから。
「欲しいものがあるのにそれが手に入らないというのはまったくつらいことだよ。でもそれ以上に私がたまらないのはね、誰かにあげたいと思っているものをあげられないことだよ」(p.256)



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