2009年3月19日木曜日

プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』

「先史時代の鳥類」のような奇怪な骨を見つけたのは、廃墟と化した大戦後のベルリンのアパートの一室……。表題作「天使の蝶」には、化学者でもあったレーヴィの世界観が凝縮されている。人間の夢と悪夢が交錯する、本邦初訳を多数収録した傑作短編集。


僕がレーヴィのことを知ったのは、アガンベンを通じてだった。ひょっとしたら岡真理の著作を介してだったかもしれないが。アウシュビッツから奇跡的に生還し た化学者。文字通り非‐人間的な環境下で、自らの人間性を保持し続けるためにダンテの『神曲』を口ずさみ続けたユダヤ人。そんなイメージがあったからだろうか、この本を開いた時一種の当惑を感じた。
まるで星新一のショート・ショートのようなサイエンス・フィクション。確かに読んでいて面白いけど、 僕の予測は覆された。しかし…そもそも僕は何を期待していたのだろう?アウシュビッツ生還者が「普通のSF」(それが普通ではないことはよく読んでいけば分かるのだが)を書くことの意外性は何なのか?寧ろアウシュビッツの中で人間を人間であり続けさせるために物語が果たした役割に目を向ければ、彼がそのよ うに物語を編み続けたどこに不思議なことがあるだろうか。

「アウシュビッツ以降詩を書くことは野蛮である」と誰かは言った。その通りかもしれない。アウシュビッツのような「野蛮性」が近代の―より啓蒙された文明社会の―根底にあり続け、「詩を書く」行為がそうした「野蛮性」を隠蔽するよ うな、あるいは表裏一体のものだったのかもしれない。近代は私たちから人間性を奪い取り、そして与え返した、不均衡に、部分的に。けれども…

レーヴィの話にもどろう。彼のSFには幾つかの要素が頻出する。一つは科学者の時に狂信的な研究への没頭であり、もう一つは新たな機械、とりわけそれ以前では人間によって担われていた精神的な領域を代替しうるような機械の発明、そしてケンタウロスのような半人間半動物である。
前の2つは他のSFにもよく見られる要素だろう。科学者の狂気。テクノロジーの発達。
しかし、最後の要素は少しそこから逸脱するように見える。レーヴィにおいて、この人間と動物の中間の存在を扱うことは何を意味していたのだろう?

「天使の蝶」はナチス支配下のベルリンにおける人体実験を扱った作品である。一人の科学者がアホロートルのネオテニーに注目して、それを成体に変化させるホルモンを抽出する。そしてそのホルモンを人間に対して注入する実験がベルリンのあるアパートでナチスの主導によって行われた。
計画によれば、人間はそのホルモンによってより完全な姿に、つまり天使になる予定だった。けれども実際に誕生したのは人間にも動物にも似つかないような奇怪な生命体だった。
このナチスによって生み出された人間でもなく動物でもない存在、それこそ「ムージルマン」だったのではないだろうか。周知の通り、彼らは「完全な人間」を作り上げようとしていた。そのための排除の方策としてユダヤ人、ロマニ、同性愛者、身体障害者などを虐殺し消滅させようとした。そのような「完全な人間」を求める虚妄の果てに、アウシュビッツではもはや人間ではない存在、「ムージルマン」が生み出された。ちょうど天使を作り上げようとして奇妙な半人間・半動物を作り上げてしまったように。そしてそれは人間と動物の閾に立つが故、嫌悪され殺されてしまう。
そして何よりも、この実験を行ったレーブ博士はいまだ発見されておらず、またいつか姿を現すのだ。







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