二十一世紀の今も、なお「問題」であり続ける「靖国」。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については、いまも多くの意見が対立し、その議論は、多くの激しい「思い」を引き起こす。だが、その「思い」に共感するだけでは、あるいは「政治的決着」を図るだけでは、なんの解決にもならないだろう。本書では、靖国を具体的な歴史の場に置き直しながら、それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし、犀利な哲学的論理で解決の地平を示す。決定的論考。
さて、靖国問題です。あまり気乗りがしない問題ではありますが。しかしこのAmazonのレビューは面白いですね。冷静にレビューを書いている人がいるかと思えば、直情的に書きなぐった感情的なレビューを書く人もいる。本文で触れているのに、この点については全く触れていないと言い張ったり、「誤読」としか思えないようなレビューもある。きっと自分の主義主張と折り合わずに、冷静さを失って、読み捨ててしまったんだろう。
しかし、この問題は、なぜそんなにある種の人々の感情をかき立ててしまうのだろう。靖国などこうした事象をめぐる、右派と左派(この用語は使いたくないなぁ)の対話というのはなぜか成り立たない。右派の議論は、しばしば論理よりも感情に訴えかける。「日本人ならわかるよね? わからなきゃ君は日本人じゃないよ。」 これに対して左派は彼らのもともとか弱い論理一つ一つに容赦なく反駁を続ける。その反駁が更に右派の感情に訴えかける語りを強化してしまう。そして左派はそれを小馬鹿にする。…ここに対話なんか成立しえないのは明らかだ。これは残念な話だけれど。高橋哲哉は、無視を決め込む人々が多いなかで、体を張ってナショナリストたちに反駁を続けている。その姿勢はやはり評価するべきだろうけれど、その行為はどこにも行き着かない。なぜ対話は不可能なのか。高橋らの批判を考えたとき、こうした反駁は批判ではあるけれども、あくまで外的なレベルに留まってしまいがちだ。これほどまでになぜ靖国問題が人々の感情を揺さぶってしまうのか。これは、靖国問題だけの話ではない。「日本人」というナショナルな共同体について批判することは、批判される側にたつ人々の感情をかき立ててしまう。ナショナリズムとは、何よりもこうした情動的な位相で作用しているものだ。ナショナリズムの情緒的な次元に踏み込むこと、これなしには「徹底した批判」などできない。ガッサン・ハージは、こうした次元に踏み込んだ数少ない研究者の一人であり、彼の著作『ホワイト・ネイション』は最も貫徹したナショナリズム批判たり得ているように思う。彼は、こうした位相をとても重視する。その結果、彼はナショナリズムを分析するにあたっては、精神分析理論を援用しなければならない、と主張する。
靖国問題など、僕の知ったことではないのだけど、関わらざるを得なくなってしまった。つくづくこれは厄介な問題で、とても僕の手に負える代物ではない。個人的には、個人の死はどこまでも個人の死であって、それを国民国家の論理に回収させてはならない、と思う。人が何のために死んだかなんて、誰にもわからないし、それを一つの対象に当てはめることなどできないだろう、ましてやそれを一般化することなど。死人は口なしとはよく言ったものだ。個人の死を国民国家に回収する、これは恐らくすべての国民国家において行われてきたことだ(この意味において、中国も韓国もアメリカもオーストラリアもイギリスも戦死者の追悼を行ってきたではないか、との反駁は正しいし、高橋も本書のなかでそのことを認めている)。個人として死ぬというよりも、国民として死ぬということ。国民国家は人々の生を規律管理するだけではなく、死にまで介入し、それを利用する。私たちは「ゆりかごから墓場まで」、そしてその先までも国民国家の論理に埋め込まれてしまっているのかもしれない。戦死者の追悼や記念日の設定、そこで執り行われる儀式などは、まさしく国民国家のイデオロギーを再生産する装置なのだろう。追悼、死んでいっていった者たちへの共感と遺族の慰撫。こうした儀式はそれに参加する人々の感情を揺さぶり、共感をもたらす。追悼の共同体、あるいは共感の共同体。何よりも追悼式典などは、こうした生き残った人々の結合を強める。我らのために死んでいった者たち、生き残った我々。死んでいった者たちは、美化されていく。卑近な話をすれば、葬式で死者の悪口を言う人などそうはいないだろう。それが、戦死者であっても。戦死した者がどんな残酷な振る舞いをしていたとしても、こうした追悼の場でそれを問われることはない。追悼のなかで戦死者もまた、美化される。戦死者の体に纏わりついているであろう、様々な血はこうして洗い流されていく。追悼の場はどこか「美しく」見える。だから、追悼施設や追悼式典の場はそもそも歴史認識を問う場にはなりえない、と僕は思う。追悼の場で、認識される歴史もまた、すっかり血が洗い流され「美しく」見えてしまう。それはやはり「虚偽」なのだ、と高橋と同様に僕も思う。
この本はよくできているとは思う。靖国を考える上で、基本文献の一つに挙げられるのではないか。よく靖国問題Yasukuni Question"s" という複雑にこんがらがった問題を整理している。ただ、このアプローチが哲学的なのかはよく分からない。高橋氏なりの一貫した論理から、問題を解きほぐし、分析を進めていく。ただ、これがどこまでも政治的な問題である以上、政治性を帯びてしまうのは避けられない。それに拒否感を感じる人がいることはAmazonのレビューを見ればよくわかる。しかし、そうした人はその時、その拒否感がどこに起因するのかを突き詰めた方がよいと思う。この本を保守の人々は、拒否して投げ捨てるのではなく、ある種の問いかけとして受け取ることはできないだろうか。そしてその上でそれに責任を持って応答すること、そして今度はそれに高橋氏が責任を持って応答すること、そんなことは不可能なのだろうか。
ともあれ、彼は靖国問題を、5つの位相に分解する。①感情の問題、②歴史認識の問題、③宗教の問題、④文化の問題、⑤国立追悼施設の問題。①で特に興味深いのは、あまり触れられてこなかった遺族感情からスタートする点。戦死の悲しみを喜びへと転換させる装置として彼は靖国神社を捉える。感情の錬金術。なぜ、20歳そこそこで紙切れ一枚で連れて行かれ、一生帰ってこない、そんなことがあったら普通は遺族は憤りと悲しみに包まれることだろう。けれど、それを喜びとして感じさせるメカニズムが出来上がっていた。個人の死を国民の死として回収し、それを名誉と見なすことによって、国民という共同体を死に向かう共同体へと仕向けていく装置。戦死が評価され、戦死者を出すことが周囲から尊敬の念を浴びることとなれば、そしてその死が無為ではなく、国のためだったと理由付けすることができれば、確かに遺族は救われるのだろう。それが「戦死者の顕彰」に他ならない。靖国神社は「追悼のための装置」ではなく、「顕彰のための装置」なのだ。確かにこのことを混同してはならない。ただ、国家によって、こうした場が設けられるとき、その二つを区分することなどできるのだろうか。死者を顕彰せずに追悼することは可能なのか。もし可能でないならば(僕はこれは不可能だと思う)、別に「追悼施設」を設けたとしても何も変わらない。
また、先述のように、靖国神社をどうのこうのすることと歴史認識の問題はどうやってもつながらない(レトリックを弄せばつながるように見えるかもしれないが)と思う。少なくとも中国政府や韓国政府と靖国問題で「和解」することと、歴史認識とは別問題だろう。
こうして彼なりの議論を押し進めていった先にあるのは不戦論だった。現状肯定的な保守主義の人たちに、これは受け入れられないだろう。もちろん彼の理路からはこうした結論に至るのは必然なのだろうけれど…。
何れにしても、靖国問題が決着したら、万事解決なんてわけはない。あくまで、これは一つの事象に過ぎない。高橋らにしてみれば、それは日本における近代を問う、あるいは植民地主義やポスト-植民地主義の観点から東アジアの近代を考えるための事象だと思うし、保守陣営にとっては、南京大虐殺、「集団自決」、従軍慰安婦のように、特定の対象に焦点を絞って、「美しい歴史」を描き出そうとするためのいくつかの事象の一つに過ぎない。靖国神社など印象的な特定の事象にしぼって攻撃することで、あたかも全体が書き換えられたかの印象を与えようとする、その特定の事象でも、細部を覆そうとすることによって、あたかも全体が書き換えられたかのように喧伝する、こうした戦略を、「自由主義史観」を主張する人々は採っている。従軍慰安婦もしかり、南京大虐殺しかり、「集団自決」しかり。ここに相手を対話をしようとする意図を感じ取ることなどできない。
どこの国の歴史も血塗られている。それを認識することは「自虐」なのだろうか。そもそも、この「自虐」という言葉も、曲者だ。自らを傷つけ、蔑むといった意味合いだろうけれど、このときの「自ら」は単数形ではない、それが意味しているのは、「私たち(日本人)」だ。個人としての「私」とナショナルな存在としての「私たち」が密接に結びついている。彼らは「日本」が傷つけられることを、自らが傷つけられたかのように感じ、苦しんでしまう。恐らくは「日本」が美しくあることを、自分自身が美しくあることとして感じ取るのだろう。これを馬鹿にするのは容易い。けれど、なぜこうしたメカニズムが作動してしまうのかはもっと真摯に問われるべきテーマだろう。靖国問題は、もっと大きな問題の一環に過ぎない。靖国問題が、そのより大きな問いに向き合うための出発点になればいいとは思う。けれどもそれは難しいだろう。
2010年1月30日土曜日
小菅信子 『戦後和解—日本は〈過去〉から解き放たれるのか』
第二次世界大戦が終わり六〇年が過ぎ、戦争を直接記憶している人も少なくなった。だがいまだに戦争についての歴史認識をめぐり、近隣諸国との軋轢は絶えない。日本はいつ「戦争」の呪縛から解き放たれるのか―。一九九〇年代後半まで、日本軍による捕虜処遇問題で悪化していた英国との関係はなぜ好転し、ここにきて中国との関係はなぜ悪化したのか。講和の歴史を辿り、日英・日中の関係を比較し、和解の可能性を探る。
仕事がらみで読まなければならない本が詰まっていて、どうしても粗い読書になってしまうのが残念です。
しかし、これは厄介な本ですね。副題からは、〈過去〉から解き放たれたいという願望が仄かに伝わってくるのですが。
さて、何から話をしよう。
まずこの和解という言葉。どうも好きになれない。「和解」って何だろう。どんな状態を指しているのか。「平和」と同じくらい厄介な概念だと思いますが、それを敢えて主要概念として取り上げていくこの姿勢は評価したい。この本ではほとんど指摘されておらず、また確認した訳ではないので、僕の勝手な思い込みかもしれないけれども、この「和解」という概念は極めて神学的な、キリスト教的な概念という印象をもってきた。和解とは何よりも、「神」との和解であって、人間の原罪や様々な罪苦を悔い改めること、贖罪することを意味してきたのではないだろうか。そう思ってしまうのはいま『神曲 煉獄篇』を少しずつ読んでいるせいだろうか。ある種の罪、特に取り返しのつかないような罪を認識し、それを後悔し、贖おうとする行為。それは苦悶の道なのだが、その先に約束された平穏へ向けて歩みを進めること。あるいはその結果。こうした概念から日本の戦後を問うことは妥当なのか。難しい問題で、僕には自信のある答えがない。これがただ、西洋的(キリスト教的)概念だから、嫌とかいう訳ではないけれども、どうも引っかかりを感じてしまう。こうした手筈が織り込まれている「和解」という概念がいいのかわるいのか。そもそも「和解」なるものは可能なのか。ある取り返しのつかない行為を贖うこと、それは可能なのだろうか。
そういえばスラヴォイ・ジジェクは何かの本で、こうしたアウシュビッツなど強制収容所の出来事を、ホラー小説と重ね合わせながら「死者の帰還」として論じていた。人間が死ぬとき、それは二つの位相で死を経験する必要がある。一つは生物学的な位相における死であり、もう一つは象徴的な位相における死である。これはあるいは形相と質料に照応できるのだろうか。死者は適切な手順に従って弔われなければならず、これが行われなかったとき、死者は帰還する、いわばゾンビーとして。そしてジジェクはアウシュビッツなどをこうした次元から捉えていた。彼らは、生物学上は殺害されたが、象徴的なレベルでは殺害されなかった。であるならば、儀礼など適切なやり方を通して彼らを弔わなければならない、そしてそれがなされない限り彼らは帰還し続ける。こうジジェクは言った。しかし、それはいかにして可能なのか。ここでまた袋小路に突き当たることになる。
更にこうした和解の主体は何なのか、という疑問もある。「日本」が「中国」と和解する、というときにその「日本」が指しているものは日本「政府」なのか、あるいは日本「人」なのか。日本政府が中国政府と和解する、ということはありえる。日本人が中国人と和解する、ということは可能なのか。その時の日本人とは、また中国人とは、ある行為の当事者に限定されるのか、されないのか。そもそも自らが直接加担した訳でもない(したがって直接の当事者ではない)行為に対して和解する、ということは可能なのか。ある個人が、「日本人」を代表しなければならないのだろうか。もしそうでなければならないのなら、「日本人」であることを降りることによってその責は回避されうるものなのだろうか。これは小菅が触れないもう一つの回路となりうるのか。
この点について、小菅はとても興味深い議論を展開する。それは本書の序盤、和解と忘却について論じた箇所である。それによれば、近代以前(のヨーロッパ)では、講和と戦争行為の忘却が対となっており、忘却は積極的に推奨されていた。戦争中の行為を忘れてはならないものとみなされるようになったのは近代における産物にすぎない、という。そしてそれは二つの世界大戦の中で、より強調されるようになっていく。小菅は(明確に論じている訳ではないにせよ)ここで、こうした戦争を記憶し続けることと近代における国民国家形成が同時進行的に進んでいったことに注目している。なぜか。近代以前の戦争は、国家間の戦争であったのに対し、近代におけるそれは、国民国家間の戦争であった。例えば傭兵制から徴兵制への移行のように、近代において人々は、国家に積極的に参与する主体としての国民へと組み替えられていった。二つの世界大戦は総動員体制という言葉に表されるように、この国家へ国民を参与させる潮流を加速させることになる。その中で人々は戦争中の加害/被害の記憶を必然的に纏うようになっていく。そしてその記憶が、国民意識を再帰的に強化させていく役割を果たすことになる。つまり、この戦争の記憶という問題は国民国家と極めて深く結びついている。そのなかで、「日本」と「中国」が和解する、というような国民国家の枠組みを前提とした和解プロセスを議論すること自体、こうした国民国家の枠の外に出るものにはなりえない。場合によってはそうした国民意識を再生産するに留まってしまうのではないか。むしろそうした国民国家の枠組みの外に出ること、それこそが必要なのではないだろうか。日本に生まれた人と中国に生まれた人が友好を取り結ぶ、そのなかに「日本」や「中国」を代表するという認識が必要な訳ではない。というよりもそんなものが付け入る余地などないのではないだろうか。
この本は極めて危うい土台の上に乗っかっている。大きな構成からみても、序論だけぱらぱらしてもそれは明らかだ。「イギリス人捕虜問題」を彼女は和解の「成功例」と見なす。その「和解の成功」という非常に捉えにくい事態(例)を彼女はゴール地点に設け、それに合わせるかのように和解を論じる。そしてそれを和解プロセスのモデルケースと見なし、最後では日中関係に当てはめようとする。これはトートロジーに見えなくもない。何が成功かもよくわからないのにそれを理念型化して、文脈の大いに異なる他の事例に当てはめるやり方はちょっと危うさを感じざるを得ない。
具体的に見ていけば、その危うさはもっとよく見て取れる。例えば、1980年代まで日本の加害責任が国内で問われなかった背景として、東京裁判の内容開示が遅れたことを取り上げる。しかし、その前のページで日本国内でそれが出版されたのは1968年のことと言っている。なぜ10年以上の空白があったのか。また、仮に開示が遅れたことを理由の一端として認めるにせよ、それと日本の侵略地域などにおける加害責任が問われてこなかったことを素直に結びつけてよいのか。東京裁判によらずとも、そうした加害の記憶を取り上げることは可能だと普通は思うのだが、それがなされてこなかった理由は恐らく別のところに問われなければならない。同時になぜ80年代だったのかについても。またあるいはこのことと関連するかもしれないが、冷戦構造との関わりからの考察があまりにも脆弱だ。日本-英国と日本-中国では文脈が違いすぎる。さらに新聞記事的なトリックも見いだされる(「多くはAだったが、実はBもいたことを忘れてはならない」、と書くのと、「少数にはBもいたが、大多数はAであった」と書くのでは同じ事態を説明していても全く意味合いが異なる)。もっと言えば、彼女が「和解の成功例」として取り上げるイギリス捕虜問題の中で、「日英和解」を評価したいあまり、次のように語る。
このあとには「その一方で」、と和解活動が進んでいることを評価する記述が続くのだか、そこは置いておこう。ここで引いた文章の最大の問題は、なぜこうした日本批判、英国批判があるのか、という理由で「売れる」から、といった程度の分析に留まっていることだろう。彼女に問いたいのは、では「なぜ売れるのか?」ということだ。売れるということは、すなわちそれを求める人がいるということだろう。こうした偏見や憎悪を助長する議論を欲望する人々が多数いることをはっきり彼女は認めてしまっている。それが彼女の成功例とする和解なのだろうか。和解するのは誰なのか。何をもって和解とするのか。この点があまりにも弱い。
和解という非常に困難な問題に彼女はよく立ち向かっていると思うし、その姿勢は評価したい。本書を読んでいても新鮮な驚きがあったし、目を見開かされた。結論部はあまりにもナイーヴだけれど、それはそれでいいと思う。
ただ、仮に「日本」と「中国」という枠組みを措定するとき、次のようなアナロジーも考えられるのではないか。
あるいじめっ子が、いじめられっ子をボコボコにして瀕死の重傷を負わせた。その後でいじめっ子がこういう、「ごめんな、和解しないか?」「もういいだろう。なぜ和解してくれないんだ?」「今が和解する一番いいタイミングだぜ。」「和解に応じようとしない君にはちょっと問題があるのかもしれないね。」
余りにいい加減な喩えだとの謗りは免れえないだろうけれど、これってやっぱり変な話じゃないだろうか。
仕事がらみで読まなければならない本が詰まっていて、どうしても粗い読書になってしまうのが残念です。
しかし、これは厄介な本ですね。副題からは、〈過去〉から解き放たれたいという願望が仄かに伝わってくるのですが。
さて、何から話をしよう。
まずこの和解という言葉。どうも好きになれない。「和解」って何だろう。どんな状態を指しているのか。「平和」と同じくらい厄介な概念だと思いますが、それを敢えて主要概念として取り上げていくこの姿勢は評価したい。この本ではほとんど指摘されておらず、また確認した訳ではないので、僕の勝手な思い込みかもしれないけれども、この「和解」という概念は極めて神学的な、キリスト教的な概念という印象をもってきた。和解とは何よりも、「神」との和解であって、人間の原罪や様々な罪苦を悔い改めること、贖罪することを意味してきたのではないだろうか。そう思ってしまうのはいま『神曲 煉獄篇』を少しずつ読んでいるせいだろうか。ある種の罪、特に取り返しのつかないような罪を認識し、それを後悔し、贖おうとする行為。それは苦悶の道なのだが、その先に約束された平穏へ向けて歩みを進めること。あるいはその結果。こうした概念から日本の戦後を問うことは妥当なのか。難しい問題で、僕には自信のある答えがない。これがただ、西洋的(キリスト教的)概念だから、嫌とかいう訳ではないけれども、どうも引っかかりを感じてしまう。こうした手筈が織り込まれている「和解」という概念がいいのかわるいのか。そもそも「和解」なるものは可能なのか。ある取り返しのつかない行為を贖うこと、それは可能なのだろうか。
そういえばスラヴォイ・ジジェクは何かの本で、こうしたアウシュビッツなど強制収容所の出来事を、ホラー小説と重ね合わせながら「死者の帰還」として論じていた。人間が死ぬとき、それは二つの位相で死を経験する必要がある。一つは生物学的な位相における死であり、もう一つは象徴的な位相における死である。これはあるいは形相と質料に照応できるのだろうか。死者は適切な手順に従って弔われなければならず、これが行われなかったとき、死者は帰還する、いわばゾンビーとして。そしてジジェクはアウシュビッツなどをこうした次元から捉えていた。彼らは、生物学上は殺害されたが、象徴的なレベルでは殺害されなかった。であるならば、儀礼など適切なやり方を通して彼らを弔わなければならない、そしてそれがなされない限り彼らは帰還し続ける。こうジジェクは言った。しかし、それはいかにして可能なのか。ここでまた袋小路に突き当たることになる。
更にこうした和解の主体は何なのか、という疑問もある。「日本」が「中国」と和解する、というときにその「日本」が指しているものは日本「政府」なのか、あるいは日本「人」なのか。日本政府が中国政府と和解する、ということはありえる。日本人が中国人と和解する、ということは可能なのか。その時の日本人とは、また中国人とは、ある行為の当事者に限定されるのか、されないのか。そもそも自らが直接加担した訳でもない(したがって直接の当事者ではない)行為に対して和解する、ということは可能なのか。ある個人が、「日本人」を代表しなければならないのだろうか。もしそうでなければならないのなら、「日本人」であることを降りることによってその責は回避されうるものなのだろうか。これは小菅が触れないもう一つの回路となりうるのか。
この点について、小菅はとても興味深い議論を展開する。それは本書の序盤、和解と忘却について論じた箇所である。それによれば、近代以前(のヨーロッパ)では、講和と戦争行為の忘却が対となっており、忘却は積極的に推奨されていた。戦争中の行為を忘れてはならないものとみなされるようになったのは近代における産物にすぎない、という。そしてそれは二つの世界大戦の中で、より強調されるようになっていく。小菅は(明確に論じている訳ではないにせよ)ここで、こうした戦争を記憶し続けることと近代における国民国家形成が同時進行的に進んでいったことに注目している。なぜか。近代以前の戦争は、国家間の戦争であったのに対し、近代におけるそれは、国民国家間の戦争であった。例えば傭兵制から徴兵制への移行のように、近代において人々は、国家に積極的に参与する主体としての国民へと組み替えられていった。二つの世界大戦は総動員体制という言葉に表されるように、この国家へ国民を参与させる潮流を加速させることになる。その中で人々は戦争中の加害/被害の記憶を必然的に纏うようになっていく。そしてその記憶が、国民意識を再帰的に強化させていく役割を果たすことになる。つまり、この戦争の記憶という問題は国民国家と極めて深く結びついている。そのなかで、「日本」と「中国」が和解する、というような国民国家の枠組みを前提とした和解プロセスを議論すること自体、こうした国民国家の枠の外に出るものにはなりえない。場合によってはそうした国民意識を再生産するに留まってしまうのではないか。むしろそうした国民国家の枠組みの外に出ること、それこそが必要なのではないだろうか。日本に生まれた人と中国に生まれた人が友好を取り結ぶ、そのなかに「日本」や「中国」を代表するという認識が必要な訳ではない。というよりもそんなものが付け入る余地などないのではないだろうか。
この本は極めて危うい土台の上に乗っかっている。大きな構成からみても、序論だけぱらぱらしてもそれは明らかだ。「イギリス人捕虜問題」を彼女は和解の「成功例」と見なす。その「和解の成功」という非常に捉えにくい事態(例)を彼女はゴール地点に設け、それに合わせるかのように和解を論じる。そしてそれを和解プロセスのモデルケースと見なし、最後では日中関係に当てはめようとする。これはトートロジーに見えなくもない。何が成功かもよくわからないのにそれを理念型化して、文脈の大いに異なる他の事例に当てはめるやり方はちょっと危うさを感じざるを得ない。
具体的に見ていけば、その危うさはもっとよく見て取れる。例えば、1980年代まで日本の加害責任が国内で問われなかった背景として、東京裁判の内容開示が遅れたことを取り上げる。しかし、その前のページで日本国内でそれが出版されたのは1968年のことと言っている。なぜ10年以上の空白があったのか。また、仮に開示が遅れたことを理由の一端として認めるにせよ、それと日本の侵略地域などにおける加害責任が問われてこなかったことを素直に結びつけてよいのか。東京裁判によらずとも、そうした加害の記憶を取り上げることは可能だと普通は思うのだが、それがなされてこなかった理由は恐らく別のところに問われなければならない。同時になぜ80年代だったのかについても。またあるいはこのことと関連するかもしれないが、冷戦構造との関わりからの考察があまりにも脆弱だ。日本-英国と日本-中国では文脈が違いすぎる。さらに新聞記事的なトリックも見いだされる(「多くはAだったが、実はBもいたことを忘れてはならない」、と書くのと、「少数にはBもいたが、大多数はAであった」と書くのでは同じ事態を説明していても全く意味合いが異なる)。もっと言えば、彼女が「和解の成功例」として取り上げるイギリス捕虜問題の中で、「日英和解」を評価したいあまり、次のように語る。
むろん今日においても、過去を根拠とする偏見は日英双方に残存する。英国大手新聞のコラムニストのなかには、異様なまでに根拠のない日本批判を行う者もいるし、日本の論者のなかにも英国は過去において他国侵略しかしなかったような文章を書く者もいる。いうまでもなく、こうした他国批判は「売れる」から日の目を見るのだ。
このあとには「その一方で」、と和解活動が進んでいることを評価する記述が続くのだか、そこは置いておこう。ここで引いた文章の最大の問題は、なぜこうした日本批判、英国批判があるのか、という理由で「売れる」から、といった程度の分析に留まっていることだろう。彼女に問いたいのは、では「なぜ売れるのか?」ということだ。売れるということは、すなわちそれを求める人がいるということだろう。こうした偏見や憎悪を助長する議論を欲望する人々が多数いることをはっきり彼女は認めてしまっている。それが彼女の成功例とする和解なのだろうか。和解するのは誰なのか。何をもって和解とするのか。この点があまりにも弱い。
和解という非常に困難な問題に彼女はよく立ち向かっていると思うし、その姿勢は評価したい。本書を読んでいても新鮮な驚きがあったし、目を見開かされた。結論部はあまりにもナイーヴだけれど、それはそれでいいと思う。
ただ、仮に「日本」と「中国」という枠組みを措定するとき、次のようなアナロジーも考えられるのではないか。
あるいじめっ子が、いじめられっ子をボコボコにして瀕死の重傷を負わせた。その後でいじめっ子がこういう、「ごめんな、和解しないか?」「もういいだろう。なぜ和解してくれないんだ?」「今が和解する一番いいタイミングだぜ。」「和解に応じようとしない君にはちょっと問題があるのかもしれないね。」
余りにいい加減な喩えだとの謗りは免れえないだろうけれど、これってやっぱり変な話じゃないだろうか。
2010年1月28日木曜日
比屋根照夫 『戦後沖縄の精神と思想』
前近代時代には日本と中国に「両属」関係にあった琉球国(沖縄)。琉球処分にはじまる帝国日本からの吸収合併の圧力にどのように対したか。帝国日本のアジア蔑視を批判する知性を生み出した沖縄。沖縄戦の惨禍から無戦の思想を紡いだ精神と思想を掘り起こす。
本当は、明石書店の本はあまり買いたくはないのですが。
近現代沖縄思想史、とでもいうべきでしょうか、こういうとすごくマニアックな印象を与えてしまいますね。ただ、比屋根さんの問題関心は一方にはこうした沖縄思想の探求に、他方には基地問題など沖縄が抱え続けている極めてアクチュアルな諸問題へ、という二つの方向に向いています。これらは独立したものとしてはありえず、それらは極めて重要な部分で折り重なっている、そういったことなのだと思います。
だからこそ、彼は各論文(三部に分割された論文集のような体裁となっています)の冒頭には必ず、「今現在」の沖縄での出来事を取り上げる。そしてそれと深く関係するテーマを抽出し、思想的な探求を行う、という手順を経るのでしょう。
この本のなかでとりわけ関心を引かれたのは三点。一つは、本土の知識人の沖縄へのまなざしを探求していること。具体的な人物としては、中野好夫、大江健三郎、竹内好、鹿野政直など。それぞれの分析は必ずしも深いとは思わなかったが、こうした本土の沖縄を巡る言論と、沖縄における沖縄を巡る言論を比較しながら議論をするという試みは面白い。二つめは、近代沖縄思想の探求。伊波普猷くらいしか知らなかったけれど、彼の弟、伊波月城や、伊波普猷を師とし、後にハワイに移住した比嘉静観、あるいはゾルゲ事件に連座し、拘留中に死亡した宮城与徳など、様々な思想が育まれていたこと。そして、それが反-植民地主義、反-帝国主義の色合いを示しながら、東アジアにおける民族自決をめざす諸闘争に深く共鳴を示してきたこと。非戦や不戦の、その先にある「無戦論」を唱えた比嘉静観の思想はとくに印象的。最後に、アメリカ占領下の沖縄思想の探求。たとえば50年代後半、沖縄人民党の瀬長氏の那覇市長当選をめぐる、米軍政府、実業界などの反応とそれを静観した沖縄の言論空間についての分析はとても興味深い。さらに、本書の終盤、中屋幸吉を辿った論文は一読に値する。占領下を生きる沖縄の若者が、自殺を選んだ(やはり選ばさせられた、というべきだろうか)経緯と、彼の迸るような叫びは、とても痛々しい。孫引きになってしまうが、やはりこの一節だけは引用しておきたい。
中屋幸吉については、仲里効も『オキナワ、イメージの縁』で取り上げていた。あの本は沖縄研究のなかで、特に反復帰論の研究のなかで極めて重要な著作だと思う。そして仲里効は、沖縄をめぐる、今最も注目すべき批評家/研究者の一人であることは間違いないだろう。
なぜか仲里さんで〆てしまった。比屋根さんの研究はとても重要なのはいうまでもありません。今は宮城与徳に関する執筆と、ソ連に連れて行かれ、粛清にあった沖縄人青年に関する研究を進めているようです。
本当は、明石書店の本はあまり買いたくはないのですが。
近現代沖縄思想史、とでもいうべきでしょうか、こういうとすごくマニアックな印象を与えてしまいますね。ただ、比屋根さんの問題関心は一方にはこうした沖縄思想の探求に、他方には基地問題など沖縄が抱え続けている極めてアクチュアルな諸問題へ、という二つの方向に向いています。これらは独立したものとしてはありえず、それらは極めて重要な部分で折り重なっている、そういったことなのだと思います。
だからこそ、彼は各論文(三部に分割された論文集のような体裁となっています)の冒頭には必ず、「今現在」の沖縄での出来事を取り上げる。そしてそれと深く関係するテーマを抽出し、思想的な探求を行う、という手順を経るのでしょう。
この本のなかでとりわけ関心を引かれたのは三点。一つは、本土の知識人の沖縄へのまなざしを探求していること。具体的な人物としては、中野好夫、大江健三郎、竹内好、鹿野政直など。それぞれの分析は必ずしも深いとは思わなかったが、こうした本土の沖縄を巡る言論と、沖縄における沖縄を巡る言論を比較しながら議論をするという試みは面白い。二つめは、近代沖縄思想の探求。伊波普猷くらいしか知らなかったけれど、彼の弟、伊波月城や、伊波普猷を師とし、後にハワイに移住した比嘉静観、あるいはゾルゲ事件に連座し、拘留中に死亡した宮城与徳など、様々な思想が育まれていたこと。そして、それが反-植民地主義、反-帝国主義の色合いを示しながら、東アジアにおける民族自決をめざす諸闘争に深く共鳴を示してきたこと。非戦や不戦の、その先にある「無戦論」を唱えた比嘉静観の思想はとくに印象的。最後に、アメリカ占領下の沖縄思想の探求。たとえば50年代後半、沖縄人民党の瀬長氏の那覇市長当選をめぐる、米軍政府、実業界などの反応とそれを静観した沖縄の言論空間についての分析はとても興味深い。さらに、本書の終盤、中屋幸吉を辿った論文は一読に値する。占領下を生きる沖縄の若者が、自殺を選んだ(やはり選ばさせられた、というべきだろうか)経緯と、彼の迸るような叫びは、とても痛々しい。孫引きになってしまうが、やはりこの一節だけは引用しておきたい。
四十日間も暮らした本土。東京の生活を通じて、常に死の意識の底にうごめいていたものは、沖縄であった。オキナワ。そう今の私は、沖縄という風土の集約的表現としてしか存在しえないことをつくづくと感じる。沖縄に生まれ、育ったボク。オキナワ、あまりにオキナワ人らしいボク。日本人というには、あまりにオキナワ的なボク。オキナワ的思惟方法。オキナワ的現実意識。オキナワ的存在形態とその把握。そうだ、ボクは、あまりにオキナワ的すぎるようだ。ボクにとって、オキナワは、自分の影である。現実的に私の精神的表現であるオキナワ、私の故郷オキナワ。私がオキナワでなくなったとき、私は何になるか。日本人か、国籍不明(正体不明)か。私の生みの親であり、もう一つの私であるオキナワ。私からオキナワがなくなる時があるか。私は、世界人であるべきであり、オキナワ人であってはいけないか。世界をオキナワからみてはいけないか。
中屋幸吉については、仲里効も『オキナワ、イメージの縁』で取り上げていた。あの本は沖縄研究のなかで、特に反復帰論の研究のなかで極めて重要な著作だと思う。そして仲里効は、沖縄をめぐる、今最も注目すべき批評家/研究者の一人であることは間違いないだろう。
なぜか仲里さんで〆てしまった。比屋根さんの研究はとても重要なのはいうまでもありません。今は宮城与徳に関する執筆と、ソ連に連れて行かれ、粛清にあった沖縄人青年に関する研究を進めているようです。
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