2010年6月28日月曜日

マルカム・ラウリー 『火山の下』

ポポカテペトルとイスタクシワトル。二つの火山を臨むメキシコ、クワウナワクの町で、元英国領事ジェフリー・ファーミンは、最愛の妻イヴォンヌに捨てられ、酒浸りの日々を送っている。1938年11月の朝、彼のもとに突然イヴォンヌが舞い戻る。ぎこちなく再会した二人は、領事の腹違いの弟ヒューを伴って闘牛見物に出かけるが、領事は心の底で妻を許すことができず、ますます酒に溺れていく。彼を現実に引き戻そうとするイヴォンヌとヒューにもなすすべはなく、二人の救いの手を拒絶する領事は、ドン・キホーテさながらに、破滅へと向かって衝動的に突き進んでいく。ナチスの台頭やスペイン内戦など不穏な世界情勢を背景に、領事の悲喜劇的な一日が、の祝祭的な禍々しさと重なり合い、ジョイスの『ユリシーズ』を思わせる圧倒的な凝集力で描き出される。聖書、ギリシア神話、メキシコの歴史、更に『神曲』『失楽園』『ファウスト』等の文学作品をモチーフとして、領事の滑稽ながらも切実たる狂気の行方が、叙情的かつ重層的に、イメージ豊かにあぶり出されていく。ガルシア=マルケス、大江健三郎ら世界の作家たちが愛読する二十世紀の不滅の傑作、待望の新訳。

これは2週間くらい前に読み終えた本でしょうか。すごい小説です。
なんというか胃もたれしてしまいました。圧倒的な筆力に消化不良を起こしてしまいます。
図書館で借りたのですが、これは買い直すべきだ、とつくづく。繰り返し読むに足るし、そうやって反芻して読まなきゃまたやられてしまいます。ある意味、『闇の奥』をクルツ大佐の側に立って描き直したらこんな感じになるのかもしれない、とか思ったりしました。というか『闇の奥』への一つの応答なのかもしれませんね。

なんか一気呵成に書き上げたようにも見えるし、綿密に計算して構築したようにも見える。こんな小説書ける人いるんですね。現実と幻想の間を漂う、なんて言葉が生温く聞こえるほど、混沌としています。小説の中でいわゆる「事実」なんてさして重要なことではないのかもしれない。会話をしているうちに全然違うことを想起して、その妄想が途方もなく、現実を圧倒するほどに肥大していく。時間がものすごくたったような気もするし、あっという間なような気もする。そんなことは誰にでもあると思うけれど、小説のなかにその感覚を落とし込むのってすごく難しいような気がする。けれどラウリーは難なくこなしてみせる。章毎に人物の視点が入れ替わるけれど、その視点によって、物事の見え方も捉え方も違うし、「世界」も違っていく。描写なんかも、一見とりとめのないようで、でも無駄なところは全くない。あるいは無駄さえも必要な部分として読ませるような、そんな感じです。うーん、うまく言えない。すごく、インプリケーションに富んでいるし、寓話的にすら思えるんだけれど、その先のものもなかなか掴めない。
なんというか、すごいです。できれば注釈が欲しかった。

もっとまともな感想が書ければと思うけれど、なかなか僕にはできません。やられてしまいました。いつかまた立ち向かってやろうと思います。

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