愛の名著か背徳の書か.詩人に名声と流刑の運命をもたらした教訓詩は機知と諧謔で人の世の望みに応える.航海術や馬術同様,恋愛にもわざがある.遊びの恋,戯れの愛,洒脱と雅を離れることなく,知的にことを運ぶには…当時の男女に伝授する奇手巧手の話から〈黄金のローマ〉の社会や文化へと読者はいつしか誘われる.
定評のある沓掛さん訳、なんともくだらな面白い本です。3巻構成で、1巻は男性が女性を口説き落とすためのテクニックの伝授、2巻目は落とした女性をどうやってキープしておくかの秘訣の伝授、3章は女性はいかに男性の誘いを引き寄せるかの技法の伝授。とはいえ、この本の内容を本気にした人は(まさかいないだろうけど…)まぁ痛い目にあるでしょうね。
なんてゆうか、こういう発想の人って今の時代にもいるし人間なんてものはそう変わるものではないんですね、どの時代でもどの地域でも。とはいえ古代ローマというのはひどく男性中心的な社会だったんですね、まぁそれも今でも大して変わらないですか。
オウィディウスの活躍した時代のローマ、あるいはオウィディウス自身の生涯について、僕はほとんど知らなかったので、この解説はとても興味深く読みました。
しかし、恋愛=異性愛となったのはいつからなのだろう。『饗宴』を読む限りでは、恋愛=異性愛という図式は必ずしも成立していない気がする。一方、この本が想定しているのは、異性愛であることは明らかだ。この間に一体何があったのか。よく分からないけれど、あるいはこうした著作それ自体がこうした図式を強化・再生産させる作用を果たしたと言えるのかもしれないし、『饗宴』の中にも、僕が忘れているだけであるいは、恋愛=異性愛図式が成立していたのかもしれない。
2009年12月3日木曜日
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