マッチョなイメージの強いヘミングウェイだが、彼はモダニズムの作家として、繊細でおそろしいほどの切れ味をもつ短篇を生みだした。彼は、女たちをひじょうに優しい手つきで描く。弱く寂しい男たち、冷静で寛大な女たちを登場させて描きだしたのは、「人間のなかで人間であることの孤独」だった。ジョイスが完璧と賞賛した「清潔で明るい場所」をはじめ、14作を新訳・新編集で贈る。
誰でも知ってるヘミングウェイ。小学生だか中学生だかに読んだり読まされたりした人も多いんじゃないかと想像します。僕もそんな感じで、名前は知っているし、有名な作品を子どものときに読んだ記憶があるけれど、それ以来全く読んでませんでした。しかし、なんで『老人と海』とかを子どものときに読ませようとするんだろうか。
そんなこんなでふと読んだヘミングウェイの短編集。悪くなかったです。確かにマッチョ&ハードボイルドって感じとは少し違うなぁ。すごくレイモンド・カーヴァーっぽい。というかカーヴァーがヘミングウェイの影響を受けていたのか。読後のすっきり感はあんまりなくて、むしろもやもや感が残るけど、そこもまた魅力なんだろうなぁ。この短編集のなかで明らかな「オチ」が用意されている作品はあんまりない。「オチ」を作ることは、そこでその作品の世界を完結させてしまうことになる。「オチ」がないことによって、それぞれの短編の世界が開かれたままになる。キアロスタミじゃないけど「そして人生はつづく」、という感じ。
そういえば訳者解説で、ヘミングウェイは本当にマチズムの作家なのか、という問いが投げかけられていた。ヘミングウェイは長らく「マチズム」というラベルを貼られ続けてきたが、それは果たして妥当だったのか、という問いだった。この短編集を読み終えた印象としては、やっぱりマチズムが色濃い作家だなぁ、という感じ。確かに、男性主義とかマッチョな価値観に翻弄される男たちがこの短編集には登場する。訳者はここに、マチズムではなく反マチズムを、強さではなく弱さを見出している。けれど、それは反マチズムなのか? マチズムに翻弄され敗北していくナイーヴな男たちを描くヘミングウェイの、同じくナイーヴな筆致。その筆致から、まるで彼の傷口を舐めてあげるような、ホモソーシャルな交感を感じ取ってしまうのは僕だけだろうか。この男たちのナイーヴさはマチズムの裏返しであって、反マチズムではないと僕は思ってしまう。
あちこち行った彼らしく、汽車とか駅とかカフェとかホテルとかよく登場しますね。ああいった刹那的に出会う人はすごく魅力的に見えて、家族とか常に一緒にいる人に対しては嫌悪感をもつ、ってなんだか分かる気がするけど、彼の小説の場合少し極端ですね。あるいはそんなものなのか。
やっぱり短編の名手、ですね。最後の短編なんかつくづくうまいと思う。
あと、あんまいい訳と思わなかったんだけれど、この訳者は定評がある人なんですね。ちょっと意外。
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