2010年9月8日水曜日

ウィリアム・ギブスン 『ニューロマンサー』

ケイスは、コンピュータ・カウボーイ能力を奪われた飢えた狼。だが、その能力を再生させる代償に、ヤバイ仕事をやらないかという話が舞いこんできた。きな臭さをかぎとりながらも、仕事を引き受けたケイスは、テクノロジーとバイオレンスの支配する世界へと否応なく引きずりこまれてゆく。話題のサイバーパンクSF登場!

これくらい読んどけよ、と言われたので読みました。SFってあんま読んでない。全然、か。そういえば小学校の終わりくらいに、ファウンデーションシリーズとか読んだなぁ。
サイバーパンクの代名詞かつ、SFの金字塔、とのことです。なかなか面白くてぐいぐい読んでしまいますが、気を抜くと何が何だかよく分からなくなります。Amazonレビューやその他の感想を読む限りでは、とりあえずかっこいい。話の筋が分からなくても、その分からなさもまたかっこいい。謎のカタカナ語やルビがちりばめられた感じも、よく分からなさを助長するけれども、それ以上に(だからこそ、らしい)最高にクールだろ? とまぁそういうことのようです。もちろんそれだけじゃないですが。

確かに。これが出た当時はものすごい衝撃だったんだろう。最先端の遥か先を行くような、めちゃくちゃかっこいい小説だったんだろう。けど、この作品とほぼ同い年の僕からしてしまうと、(サイバーパンクという言葉と同様に)ちょっと古さを感じてしまう。僕にとっては、その最先端のやや古びた感じゆえに、とてもかっこいい小説だと思うんだけれど。この感覚はこの小説をリアルタイムで読んだ人には、どうやっても伝わらないだろうな。25年経って、それでもやっぱり「新しさ」はあって、それはどこか古びた感じをまとった「新しさ」なんだよなぁ。25年経つと違った味が出てくる、それって名品の証なんだと思う。

思弁的な深みには欠ける気がするし、プロットも今となっては通俗的だけれど。当時のSFでどれだけハードボイルドな文体のものがあったのか、よく分からないけれど、素材と文体がすごく素敵に噛み合っているように思います。また読み返したくなる。SFももう少し読まんとなぁー

2010年9月7日火曜日

吉田兼好 『徒然草』(角川ソフィア文庫版)

日本の中世を代表する知の巨人、兼好が見つめる自然や世相。その底に潜む、無常観やたゆみない求道精神に貫かれた随想のエキスを、こなれた現代語訳と原文で楽しむ本。現代語訳・原文ともに総ルビ付きで朗読にも最適。

角川ソフィアの「ビギナーズ・クラシックス日本の古典」というシリーズです。「ビギナーズクラシックス」なんて(笑)と思う向きもあるかとは思いますが、まがうことなきビギナーなので。さすがというかなんというか、まず現代語訳があって、そのあとに原文(総ルビ)がきます。語釈・注釈はほとんどなく、そのあとは解説(ただし役には立たない)が続く感じ。途中で気付いたけれど、全然原文読んでない。訳も、良くいえばだいぶこなれているし、悪くいえば意訳し過ぎなので、単語の意味とかもほとんど取れない。しかも抄録です。
でも、まぁビギナーなのでしょうがないですね。訳については編訳者の親切なのだと思います。ただ、各段の後に続く解説はいただけないですね。興ざめというか、余計です。

内容について、思うところもありますが、ソフィア文庫読んだくらいで分かったように語るんじゃねえ、と言われたらそれまでなので、やめにします。「花は盛りに」がとりわけ面白かったです。それにしても、高校1、2年で読むらしいですが、全く記憶にないのはどういうわけだろう。

2010年8月29日日曜日

8月に読んだ残りの本

不本意ですが、一冊一冊感想を書くゆとりがないまま溜まってしまったので。

①ヴィルヘルム・ゲナツィーノ『そんな日の雨傘に』
 重いけれど軽やかな、「靴男」の果てしないモノローグ。「自分が許可してもいないのにこの世にいる」という気分から逃れることができない、46歳、無職の主人公は、何をするでもなく、「人生の面妖さ」に思いをめぐらし、平凡で、どこにでもある、様々な路上の出来事に目を留める。地下道のホームレスの男たち、足元に置かれた他人のトランク、サーカスの娘と馬のペニス......。そのたびにとりとめのない想念が脳裏をよぎり、子ども時代の光景がなんとなしに思い出され、なにげない言葉が心に引っかかる。遊歩の途中でつぎつぎと出会うのは、過去になんらかの関係を持った中年の女たち......彼女らの思い出がふつふつと浮かんでくる。主人公がなにかから気をそらすように歩き回るのは、同棲していた女が愛想を尽かして出て行ってしまったからだ。しかも靴を試し履きする臨時収入が減り、生活もままならなくなってきている。そうした挫折と失意が、居場所のない思いをいっそう深めてゆく......。
 作家は本書で一躍注目を浴び、2004年にドイツ最高の文学賞《ビューヒナー賞》を受賞している。

エクス・リブリスから。主人公はダメ人間っぷりに、はまってしまう作品。たぶんダメ人間ほどはまってしまうんじゃないかと。「この主人公いいなぁ」とすら思ってしまった僕はやはりダメ人間のようです。臨終コンパニオンのくだりには笑わされました。ダメ人間っていうのは街を遊歩することができる人なのかも、とも思わされました。


②久生十蘭 『久生十蘭短篇選』
現役の作家のなかにも熱狂的なファンの少なくない、鬼才、久生十蘭の精粋を、おもに戦後に発表された短篇から厳選。世界短篇小説コンクールで第一席を獲得した「母子像」、幻想性豊かな「黄泉から」、戦争の記憶が鮮明な「蝶の絵」「復活祭」など、巧緻な構成と密度の高さが鮮烈な印象を残す全15篇。

こないだ河出の短編集を読んで気に入ったので。やっぱり面白かったです。こんなにジャンルを問わず、しかも面白く書けるもんですか。河出の短編集よりもおすすめかも。解説が充実しているのも魅力。


③『世界文学全集 短篇コレクションⅠ』
南北アメリカ、アジア、アフリカの傑作20篇。新訳・初訳も含むアンソロジー。トニ・モリスン「レシタティフ」、アチェベ「呪い卵」、張愛玲「色、戒」などの新訳・初訳から、コルタサル、カーヴァー、目取真 俊

【収録作品】
コルタサル 「南部高速道路」
パス 「波との生活」
マラマッド 「白痴が先」
ルルフォ 「タルパ」
張愛玲 「色、戒」
イドリース 「肉の家」
ディック 「小さな黒い箱」
アチェベ 「呪い卵」
金達寿 「朴達の裁判」
バース 「夜の海の旅」
バーセルミ 「ジョーカー最大の勝利」
モリスン 「レシタティフ──叙唱」
ブローティガン 「サン・フランシスコYMCA讃 歌」
カナファーニー 「ラムレの証言」
マクラウド 「冬の犬」
カーヴァー 「ささやかだけれど、役にたつこと」
アトウッド 「ダンシング・ガールズ」
高行健 「母」
アル=サンマーン 「猫の首を刎ねる」
目取真俊 「面影と連れて」

短篇コレクション。錚々たる顔ぶれ。著者を選ぶセンスはさすが、なのかもしれません。知らない人、読んだことない人もぽつぽついて、なかなか面白い読書でした。でも、作品の選択は……どうでしょう。まぁ色々な事情があるんでしょうが、長編を載せることができなかった人をまず挙げて、その後に掲載できる作品を見繕ったのかな。あえてこの作品ですか?っていう気がしなくもないです。訳者はいい人揃いなんじゃないでしょうか。読書を広げるという意味でもとてもいい本です。


④安田浩一 『ルポ 差別の貧困の外国人労働者』
日本経済にとって、外国人労働者は都合の良い存在であり続けた。企業の繁栄を支え、あるいは不況企業の延命に力を貸してきた。しかし日本は、その外国人を社会の一員として明確に認識したことがあっただろうか。第一部では、「奴隷労働」とも揶揄されることも多い、「外国人研修・技能実習制度」を使って日本に渡ってきた中国人の過酷な労働状況を概観する。第二部では、かつて移民としてブラジルへ渡った日本人の主に子どもや孫たちが、日本で「デカセギ労働者」として味わう生活と苦労、闘う姿を追う。こうした中国人研修生・実習生と日系ブラジル人を中心に、彼ら・彼女らの心の痛みを描きながら、日本社会をも鋭く映す、渾身のルポルタージュ。

怒りに、あるいは羞恥に身を震えさせながら読むべき本。七つ森書館というところから『外国人研修生殺人事件』みたいなタイトルの本が数年前に刊行され、それを読んで大きな衝撃を受けた記憶があります。同じ著者だったのですね。本書の冒頭で触れられる殺人を犯した研修生については、この『外国人研修生殺人事件』という本で詳しく書かれています。ジャーナリストとしても、とても真摯で、文章も、思考もしっかりした信頼のおける書き手だと感じます。
彼ら研修生の悲惨な実態がこれでもかと書き連ねてあります。その一つ一つが衝撃的。自分が乗っかっている地面の下ではこんなことが起こっている。それに気付かない振りをするのも、全く気付かないのも、どちらも等しく恥ずべきことなのでしょう。外国人労働者なしに日本社会が成立しているなんて幻想を抱いている人がまだ多いのにはびっくりします。そんなわけないでしょう。それは現代に始まった話じゃなく、これまでもずっとそうやってきたんじゃないかと僕は思っているのですが。ただ、それを彼らの「協力」なしに、とか言い換えてしまうおめでたい「多文化主義」には僕は組することはできません。
日系ブラジル人についても、保見団地に調査にいったり、彼らのバーベキューに参加したりしたことがあるので、他人事とは思えません。この不況のなかで彼らがどうやって過ごしているのだろう。
とやかくいう前に本書を読むことから。読まなければいけない本といってもいいかと。