2010年8月15日日曜日

ロベルト・ボラーニョ 『野生の探偵たち 上・下』

1975年の大晦日、二人の若い詩人アルトゥーロ・ベラーノとウリセス・リマは、1920年代に実在したとされる謎の女流詩人セサレア・ティナヘーロの足跡をたどって、メキシコ北部の砂漠に旅立つ。出発までのいきさつを物語るのは、二人が率いる前衛詩人グループに加わったある少年の日記。そしてその旅の行方を知る手がかりとなるのは、総勢五十三名に及ぶさまざまな人物へのインタビューである。彼らは一体どこへ向かい、何を目にすることになったのか。

圧巻。これを誰かが書いたというのが僕にはちょっと信じ難いです。
構成は三部構成。第一部と第三部はガルシア=マデーロという少年によって書かれた日記からなっています(第一部「メキシコに消えたメキシコ人たち」は1975年11月2日付け〜12月31日付け、第三部「ソノラ砂漠」は1976年1月1日付け〜2月15日付け)。第二部はアルトゥーノ・ベラーノとウリセス・リマの軌跡をたどった53人もの証言集からなっています。正直あまりに登場人物が膨大すぎて、途中で混乱したりしましたが。同じ姓の人間が何人も出てくるとさすがに整理がつかないものです。


第一部の日記では、ガルシア=マデーロが、ベラーノやリマが率いる「はらわたリアリスト」の仲間に加わり、様々な人と出会いながら、彼らに巻き込まれ(または、自分から巻き込まれに行き)、ベラーノやリマとともに、1920年代に実在したとされるセサレア・ティナヘーロを追い求め、北のソノラ砂漠へと赴くまでが書かれている。第三部はその続きからだから、第一部→第三部→第二部と読んでいくやり方もありえるかもしれない。でもそれがいいのかどうかはよく分からないけど。
第二部はとても不思議な構造になっている。ほぼ時系列(証言が行われた日時)に沿って証言は進んでいくが、アマデオ・サルバティエラの証言だけ、例外的に同じ日時に行われたものが分割され、各所にちりばめられている。その証言は1976年1月、つまりリマやベラーノたちがソノラ砂漠を訪れている最中に行われている。彼が語るのは、リマとベラーノがティナヘーロの情報を求めて彼のもとを訪ねた時の話である。しかし、このインタビュアーは一体誰なのか? これは第二部を読みながらずっと抱えていた疑問で未だに解けていない。

この小説には明かされないこと、見えないことが沢山ある。ティナヘーロのノートの内容も明かされることがなければ、ベラーノのノートの内容も明らかにされない。「インタビュアー」はいなくなってしまったリマとベラーノの軌跡をたどる。彼(便宜的にこうしておこう)が何のために証言をかき集めているかは、よく分からない。そもそも彼が誰なのか分からない。ベラーノとリマが消えてすぐ証言を集め始めるこの「インタビュアー」は30年間もの間、世界各地を飛び回りながら、彼らに関する証言を執拗に集め続ける。けれどなぜ?
あるいはこう言った方がいいのかもしれない、この小説の中心的な人物は常に「不在」だと。インタビュアーも不在なら、ベラーノもリマも常にいない。日記の書き手であるガルシア=マデーロもいなければ、リマやベラーノが追い続けるティナヘーロも不在だと言っていい。リマの居場所を突き止め、話を聞くことは、このインタビュアーに取っては容易いことだっただろう。けれど、彼の証言を得ることはない。
リマとベラーノとこのインタビュアーの違いは、前者がティナヘーロに出会うことを目指しているのに対して、後者は必ずしもそれをリマやベラーノに出会うことを目指していないことにある。リマとベラーノの軌跡を多数の証言を組み合わせることによって「分厚く」描き出すことをこのインタビュアーは目指しているように思える。だからこの証言集には一見関わり合いのなさそうな「余分」とも思えるくだりが数多くある。ベラーノについてあるいはリマについて語っているうちに、それがいつしか自分の話となり,また文学なんかの話になる。「群像劇」といってしまうと陳腐になってしまうが、ベラーノやリマに常に焦点があるのではなくて、その周囲の人びと、彼らの人生や彼らが置かれている状況が何重にもなって描き出すことが目指されているのかもしれない。だから、なんというかこの小説は、一面では虚構なのかもしれないけれど、何よりも「歴史」なんじゃないかと思う。

そういえば、この小説は「半自伝的」らしい。ベラーノがボラーニョその人である、と。作家の写真とか見ると、あぁ確かにベラーノのイメージそっくりだなぁ。ベラーノもリマもガルシア=マデーロも、みんなボラーニョの投影のような気がしてしまうけれど。

個人的にはイニャキ某という人物がひどく気に入りました。まだ世に出てもいない批評のせいでベラーノに決闘を挑まれ、その後に彼に薬を送ってしまったり、ブックフェア会場では、批評と作者の関係について深遠な議論を展開したり。
訳のおかげもあるんだろうけど、証言者がそれぞれ特徴を持っていて、読んでいて飽きなかったなぁ。それぞれの記述について書いていったらキリがなさそう。

あと、タイトルの「野生の探偵たち」ってどういう意味なんだろう。あとあと、セサレア・ティナレーロがある教師に語った来るべき時代の話、26××年の話って「2666」という彼の著作となんか関わりがあるんだろうか。『通話』も読み直したいな、でまたこの本を読んでみたい。そのころには「2666」も刊行されているかな。

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