2009年11月8日日曜日

コーマック・マッカーシー 『越境』

十六歳のビリーは、家畜を襲っていた牝狼を罠で捕らえた。いまや近隣で狼は珍しく、メキシコから越境してきたに違いない。父の指示には反するものの、彼は傷つきながらも気高い狼を故郷の山に帰してやりたいとの強い衝動を感じた。そして彼は、家族には何も告げずに、牝狼を連れて不法に国境を越えてしまう。長い旅路の果てに底なしの哀しみが待ち受けているとも知らず―孤高の巨匠が描き上げる、美しく残酷な青春小説。

この小説に出会えてよかった。とにかく圧倒されました。
ギリシャ悲劇のような、そんな感じです。
どう感想を書けばいいのかわからないけれども、とにかく揺さぶられる。
緻密に構成された小説です。3回の越境と、その度に老人から語られる物語。それは物語だけれども、寓話めいていて、それがビリーの「運命」とも共鳴する。それらの話は全て、「世界」と人間の「運命」に関わるもので(だからとても哲学的であり神学的でもある)、それはビリーの「世界」とかれの「運命」にも関わりあう。そしてそれにビリーはとめどなく押し流されていく。でもそれにたいしてビリーは立ち向かうのではなくて、むしろ積極的に押し流されていくように感じた。「運命」に抗うのではなくて、それを肯定するように。
そのビリーの様も、織り込まれる挿話も、一つ一つにとても魅了された。
このなかでのアメリカとメキシコの「越境」、狼がアメリカに「越境」したことに物語は始まり、その狼を捕らえたことによってビリーはある意味で「越境」を経験する。そしてそのあとに、メキシコに「越境」し、ふたたびビリーは変わる、そして「ホーム」であったアメリカも変わっていく(少なくともビリーにとっては)。「越境」は物理的な行為ではない、おそらく。ビリーも国境横断自体は何てことなく遂げるのだから。なによりも「越境」というのは精神的な行為で、それは越境者の「世界(像)」を変えるものなんだろう。眼を吸い取られた老人もまた越境者であるだろう。神に論争を仕掛ける男に出会った司祭もまたそうなのだろう。そうした「越境」によって形作られ壊された「世界(像)」はもとの姿に戻ることはないのだろう。

とても透き通っていて脆いようにも見えるけれども、それゆえに鋭く美しい文章。ハードボイルドな小説?って聞かれたけど、そうじゃないです。また、動物や自然の描写、それらと人間とのやり取り、関わり合いの描き方もとても美しい。いいです。

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